ciguwerao

2009/05/16の記録:Châteauneuf-les-Martigues et Martigue

Aix [エクス] のcentre [中心部] までケバブを食いに行くことを思いつき車で出掛ける。 1320家を出る。いつもの所にうまい具合にスペースが見つかった。

(いつものようにCours Mirabeau [クール・ミラボー])
ちょうどmarchéが終わったところで、 Palais de Justice [裁判所] 前広場はぐちゃぐちゃだった。

何となく市庁舎前広場方向からCours Mirabeauに向かって歩きながらケバブを食った。
食い終わって特にすることも思いつかないので車に戻り、 Martigues [マルティーグ] に行くことにした。ずっと前から行こう行こうと思いながら行かないでいたMartiguesについに念願かなって行ってきたわけ。
1415 Aix発。
D9を真っすぐ行ってSt-Victoret [サン=ヴィクトレ]、 Marignane [マリニャーヌ] 市街を過ぎた辺りの行き方を良く確認しなかったので、そのまま、なんかおかしいとは思いつつ、 D9をCarry-le-Rouet [キャリィ=ル=ルエ] の方に行ってしまい、 D48aとの交差点で地図を確認するとやっぱり間違い。一つ手前のD568を右折しなきゃいけなかった。
引き返すのも業腹なのでD48aでChâteauneuf-les-Martigues [シャトーヌフ=レ=マルティーグ] に寄ってくことにした。その方がかえって都合がいい。間違わなければ寄ろうと思わなかっただろうし。
D9, Vitorolles, St-Victoret, Marignane; D48a, Châteauneuf-les-Martigues.

(St-VictoretだかMarignaneだかの辺りのD9。多分Marignane)
1450着。ここまで33km程。
Châteauneufはそこここに花が植えられているなど、街の中がきれいにされていて、市庁舎前広場も最近改修・整備したんだろうけど、きれいで感じがいい。

(車をとめたところからの北の方の眺め)

(教会)

(市庁舎裏手からの南方の眺め)
北の方を見ると家並みの隙間からÉtang de Berre [ベール湖] がちらちらと望めるのもいい。

市庁舎前広場に戦没者記念碑があったので撮影。


1505 Châteauneufを後にする。 (Châteauneufの街を出るところで水道を見つけたのでウィンドーウォッシャーの水を補給させてもらう)
Châteauneuf, D568, La Mède.
次のLa Mède [ラ・メード] は通過のつもりだったが、教会、役場を通り過ぎたところでやっぱり素通りできない気持ちになりちょっと引き返して教会前に車をとめて散歩。ここはコミューンとしてはChâteauneufの一部になってる様だ。
元役場 (今はChâteauneuf市役所の出張所) 裏にちょっとした庭がある様で、そこから激しい音楽が聞こえてきた。裏から覗くと何かフェットをしてた。ここでは記念碑は見つからず。

(教会)

(元役場)

(フェットの様子を垣間見る)

(教会裏ではペタンクおじさん達)
1530 La Mèdeを出てついに念願のMartigues入り。
La Mède, D568, Martigues.
Martiguesは大都会なので中心部は駐車が有料だろうけど、どこまでタダでとめられるか分からんのでとりあえず中心まで行ってみる。
街の南のÉtang沿いにあるマリーナの辺から有料になってた。中心部はほとんど水面と同じ高さに道路がある。やっぱり水のある街は車で通るだけでも気持ちがいい。橋を渡って中心の島 (運河の中洲) に入っちゃったけど、引き返して、結局最初に入ってきた通り沿いにとめた。
1545駐車。ここまで46km程。もうちょっと中心寄りにもタダの駐車場があったけどまあいいや。

(車をとめた南の街外れからマリーナ越しにMartigues中心部を見る)
湖岸沿いの有料駐車場に地図があったので見る。ちゃんと墓地の位置も把握。島を越えて反対側の丘の中腹にある様だ。

南側の市街をちょっと見てみるが、ぐずぐずして墓地が閉まっちゃったら困ると思いつき、まず墓地を目指すことにする。


(運河南の市街)
その前に運河沿いの教会だけ見物。外見は古めかしく由緒ありげだが、中は普通に新しく建てた教会っぽくなってた (と言っても何十年か前の感じだけど)。



大きな橋を渡って中洲に入り、さらに反対側の、小さめの橋を渡って北岸に入る。中洲の南側は大きな船が通るように大きめの橋になっており、北側は小さな船 (ボートくらい) しか通れない。大きな橋は真ん中のところに切れ目が入っており、一応跳ね橋になってるみたいだ。ただこの時は、橋を通る車や人の交通量はかなりのものだし、開けようと思えば開けられるけどごくたまに開けるくらいなんだろうと思ってた。


(大きな橋。こうして見ると大して大きくないね)

(切れ目)

(大きな橋のてっぺんから西の方を見る。左に見えるのがさっき入った教会、右側が中洲。奥に見えるもっと大きな橋は街の端をかすめて通る高速道路)

(大きな橋を渡って中洲の東の端っこに入った所。左に写ってる橋は中洲から北側の街に渡る橋)
北岸に入ってすぐに「Office du Tourisme 左に500m」の表示板を見つけ、地図をもらっとこうと思い、そっちに行く。それにしても500mは結構遠い。時速1kmで歩いたら30分かかる。本当に500mも歩くの嫌だなあ、大げさに書いてくれてるんだといいなあ、と期待して歩くが、本当に結構遠かった。

(中洲からの橋から見た北側の市街。 Office du Tourismeは橋を渡って左に折れて延々歩く)
Office du Tourismeのあるロンポワンは市庁舎、警察本部、アグロメラシオン (Martigues, Port-de-Bouc, St-Mitre-les-Rempartsの3コミューンの集まりらしい。ウィキペディアで調べてみたら、正式名称は « Communauté d'agglomération Ouest de l'Étang de Berre »。こういうコミューンの集まりは1999年に法で定められたもので、全国に現在171あるらしい) の庁舎、観光センター (旅行者向けのOffice du Tourismeと、多分市民向けのチケットセンターみたいなのなど) といった、街の中心機能が集まってる。ただ中心部からは結構遠い。


(ロンポワンとそれを取り囲む役所。上がHotel de l'Aggromération、下がHotel de Ville。なんでアグロメラシオンの方は定冠詞がつくのにヴィルの方はつかないんだ。フランス語は本当に不合理だ)
市庁舎裏に公民館だか市民ホールだかみたいなものがあって、そこで結婚式があったみたいで人がいっぱいいた。そういうのにつきもののクラシックな高級オープンカーなんかがとまってたりもしたが、ちょうど新郎新婦が乗り込むところだったので撮影は遠慮した。
Office du Tourisme地図をもらって墓地へ。
今日はかなり日差しが強く、Aixでも歩いたし、なんせOffice du Tourismeまでが遠かったんでこの時点でかなり疲弊してた。予想通りではあるけど地図で墓地の位置を確認すると、Office du Tourismeから真っすぐは行けず、渡った橋の近くまで戻らなきゃならん。往復で1km。時速2kmで歩くと30分かかる。
かなりうんざりしながら、来る時通った運河沿いの道とはちょっと変えて市営のスタジアムの脇から丘側に入って墓地を目指す。これで墓地に記念碑がなかったらがっかりだけど、教会前にも市庁舎前にもなかったから、おそらくあるだろうとほぼ確信しながら歩く。

(スタッド・ミュニシパル)

(ちょっと面白い階段。でも折れそうで怖いよね)

(へとへとになりながらやっと墓地についた。右奥の方にムーランが見える。この辺は何かってえとムーランだ)
墓地に着くと真ん中にかなり高い円柱が立っていて、これか、と思ったが近づいてみるとそれじゃあなかった。

(円柱)
でも後ろの、一番奥の一段高くなったところにちゃんと戦没者記念碑があったので、ほっとして撮影。

(円柱の脇から見える戦没者記念碑)


墓地は丘の中腹なので、それなりに見晴らしが利いてなかなか良い。もうちょっと高いところなら街が一望、といったところだったろうけど、そこまでは行かないのがちょっと残念。
墓地を出て丘を下り、運河北側の街並を歩く。

教会があったので入ってみる。


中はこんな感じで簡素なんだけど、上の写真手前左に下の写真みたいに町の歴史が書かれたコーナーがあった。

それによるとMartiguesの街は元々三つ、北側のFerrières [フェリエール]、真ん中の中洲で名前もそのままの L'Ile (L'Isle) [リル (=島)]、南のJonquières [ジョンキエール] に別れてたんだけど、プロヴァンスの行政の都合、特に徴税をしやすくするために、つまるところは住民の都合というよりも外からの圧力によって16世紀にl'Acte d'Union de Martigues [ラクト・デュニオン・ド・マルティーグ] というのが結ばれて一つになったらしい。面白いのは、アクトが結ばれたとはいえそれは最初は形だけのことで、数ヶ月後にペストが猛威を振るって (1582年) 住民にとっても統合が必要になったことでやっと実際に機能するようになった、とされているところ。

【その後街の北側、中洲を歩き回ったんだけど、長くなったので追々書き足していきます。とりあえず写真だけ】
























1730車に戻る。
今日はちゃんとペットボトルに水を入れて持ってきたんだけど、そのせいかトイレに行きたくなった。一方で水は飲み干しちゃったのにコーラが飲みたくなった。日差しが強くて暑いから消耗したんだろうけど、水じゃ物足りないのは糖分が欲しいのかな。
Châteauneufの方に戻って、そこのCarrefourでトイレをかり、ついでにコーラを買って飲むという素晴らしい思いつきが浮かんだので、そうすることにして出発。
本当はIstres [イストル] にも行って、そのままÉtangの北回りでSt-Chamas [サン=シャマ] の方から帰れれば、と思ってたけど、かなり消耗したし足も疲れたので、 Istresはまた今度にして今日はCarrefourの後はそのままÉtang南岸を東に向って帰ることにする。
Martiguesを出たところでラジオのニュースで聞いたのだが、Besançon [ブザンソン] でプチトランがこけたらしい。曲がりくねった下り坂で最後のワゴンが横転。10名近くが怪我、うち2人が重態とのこと。 (ちなみ消防士さんの団体が乗ってたらしく、消防士さんのけが人が多いらしい)
プチトランは良くあれで狭い街の中走れるなあ、と感心してたんだけど、やっぱり事故るときは事故るんだね。この前一緒にNice [ニース] に行った友人がプチトラン好きでよく乗ると言ってたから、教えとかなきゃいかん。
Martigues, A55; la Mède; 568, Carrefour.
成り行きで慣れない高速に乗っちゃって、早まってLa Mèdeの出口を出ちゃったけど、もう一つ先にCarrefour最寄りのChâteauneuf出口があった。Carrefourはトイレと飲み物だけの予定だったけど、最近les Milles [レ・ミール] のCarrefourに入荷されなくなった丸い米が売ってないかと念のため見てみると、意外なことに普通に売ってた。 Vitrolles [ヴィトロール] のCarrefourにもなかったんだけどね。で、 6袋6kg (一袋0.91。昔は0.60くらいだったんだけどちょっと高くなってる) とプロモーションのオランジーナ0.45 (冷えてるのでこの値段は奇跡的。普通は冷えてるのは1€くらいする。コーラは冷えてるのが見つかんなかったし、別にこだわりがあったわけじゃないので) を買う。
思いがけず充実した買い物になった。これでしばらく米を節約しなくて済む。

(Carrefourの駐車場)
Carrefourには30分程いて、1820発。地図を見て、D568, D368で真っすぐ行ってD8nに入るっていう素直な道で帰ることにする。
Carrefour, D568; D368, les Pennes-Mirabeau.
les Pennes-Mirabeau [レ・ペンヌ=ミラボー] で何事かやってるらしく、街と道路の間の空間に人がいっぱいいて、道沿いには車もいっぱいとまってる。

(les Pennes-Mirabeauの街。詳しくは2007/08/19の記録参照。と思ったんだけど、今読み返してみたら肝心のles Pennes-Mirabeauのところだけ後で書くとか言っていまだに書いてない)

(こんな感じで路駐の車だらけ。しかし中央分離帯にとめるのはやり過ぎだろ、と思う。一応駐車場も用意されてたみたいだけど足りなかった様だ)
残念ながら何やってるのかは分からなかった。で、そのせいかどうかは分からんけどles Pennes-Mirabeauの先からD568がえらく混んで渋滞してる。そういえば前もここ、混んでた気もする。脇にそれて地図を見て、D113からD60aでCabriès [カブリエス] に行き、その先でD8nに入ることにする。
D568; D47; les Pannes-Mirabeau, D113; D60a; ?; D60e; Cabriès, D60d; D8; D60c; D60a; D8n, Luynes.

(Cabrièsの街)
1920帰宅。
92km程。

(2009/12/26/17:28)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2009/05/09の記録:Salon-de-Provence

今日の地図

今月末に友人夫婦が遊びに来る。彼らの到着日にはTGV駅まで迎えに行ってそのままOrange [オランジュ] に行く予定。
TGVの駅からはRoquefavour [ロクファヴール] を通った後、 Avignon [アヴィニョン] 方面の高速に乗ろうと思うのだが、地図を見るとCoudoux [クドゥークス] の辺りの高速とD10の交差地点付近ではAix-en-Provence [エクサン=プロヴァンス] 方面は乗れるがAvignon方面には乗れなそうに見える。
それを、TGV駅からRoquefavourの方に抜けるD65dへの行き方と併せて確認するためにドライブ。 1515家を出る。
D9; D9g; Gare Aix-en-Provence TGV, (引き返して) D9g; D65d; D65; D10, 高速との交差地点.

(TGV駅周辺の道沿いはぎっしりと路上駐車の車。有料駐車場を避けて、タダでとめて旅行に行ってるというわけ)

(D65d。写真では良く見えないけどこの道は片側、もしくは両側に金網が張ってあって、軍事施設かなんかでもあるんじゃないか、という雰囲気)

(で、もうちょっと行くとダチョウがいる)

(看板を見ると「プロヴァンスのダチョウ」とあってその下に「(肉の) 塊」「ステーキ」「テリーヌ」「ソシソン」「飾り卵」と書いてあって、どうやら食うらしい。ダチョウの他にも僕の好きなロバとか、変わった牛だか羊だかとかもいる。牛や羊はともかく、ロバは食わないよね)

(さらに進んでD65。奥にRoquefavourの水道橋が見える)
D10と高速の交差地点についてみると、やっぱりAvignon方面には乗れない。ここから乗れないとなると、高速と並行しているD19でLançon-Provence [ランソン=プロヴァンス] を抜けてSalon-de-Provence [サロン=ド=プロヴァンス] 南まで行って乗るしか無い様だ。その入口を確認すれば、今日のミッションは一応終了。
せっかくなのでこの前入れなかったSalonの墓地に行って戦没者記念碑を探すことにする。
交差地点; D19, Lançon-Provence; D15; D113; D583, Salon-de-Provence.
1620頃Salon着。さっそく墓地へ。
ぐるっと回ったが見つかったのは戦争で亡くなった病院関係の方々の記念碑。

(大きさ的には普通のお墓と区別のつかない小さな碑だが、昨日が第二次大戦の記念日だったこともあり三色旗が二本立てられており、周りの十数基のお墓とともにちょっと特別な囲いがなされていたので戦争に関する記念碑だと分かり、調べてみた)
通常の戦没者記念碑は見つからなかった。が、入口から真っすぐのびた通路の突き当たりには小さな丘があるのだが、墓地に面する側は切り崩されて崖になっている。その崖の岩肌に良く見ると彫刻がされているのに気づき、近づいてみるとそれが戦没者記念モニュメントになっていた。

(詳しくはここ参照)
Salonは大都会だから記念碑も大きいだろうとは思っていたが、崖を利用してモニュメントにするのは意外だった。
お墓を出て、バスターミナル (この前も書いたけど、本当はターミナルという程でもない長距離バス専用のバス停) で各路線の時刻表を見てみたりした後、苔の方に行ってみようとちょっと歩くが面倒になって、遠くから苔の写真だけ撮って引き返した。

(バスターミナルならぬバス停前の多分マルシェが立つんだろう広場。バス停は右端に辛うじて見える筈)

(遠くからとった苔。縮小しちゃったんで分からないだろうけど、向こうに走って行く白いカングーがそのまま真っすぐ行けば苔にぶつかる。苔について詳しくは前回の記事参照)
で、帰りをどうしようか考えるが、結局、普段変な道ばかり走る所為で最近ほとんど通っていない一番普通の道で帰ることにする。ただし途中でちょっと北にそれてこの前通り過ぎたla Barben [ラ・バルバン] に寄ってみた。
Salon, D538; D572; C2; D22a, la Barben; D22; D572; St-Cannat, D7n.

(la Barbenはこんな感じで街並という程のものもない)

(地図)

(で、集落から結構離れた所にこんな城がある。上の地図では左の方に集落があって、城は真ん中辺)

(城に入ってく歩道はこんな感じにこじゃれてて、観光客も結構いた。シーズンになってきたからね)
St-Cannat [サン=カナ] 辺りで渋滞しており、このまま渋滞がAixの方まで伸びるようならやっぱりD18に入った方が良さそうだと思ったが、渋滞はD7nとD572の合流によるものでSt-Cannatを抜ければ渋滞も終わりそうに見えたのでそのままD7nを行った。

(Aixに西北の方から入って行くところ。スーパー・カジノが奥左手にある)
18時帰宅。
90km程。

(2009/08/20/03:48)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2009/05/03の記録:Vernègues, Alleins et Mallemort

今日の地図

昔Notre Dame de la Garde [ノートルダム・ド・ラ・ギャルド=マルセイユの丘の上の教会] の土産物屋で買った紫色のプロヴァンスのガイドブックを見ていたら、 Lauris [ロリス] という街が紹介されている。知らない街なのでどこかと思って調べるとCadenet [カドネ] の隣町。
このLaurisと、この前面白そうだと思ったMallemort [マルモール] を目的地に定め、ついでに通り過ぎたことしか無いla Roque-d'Anthéron [ラ・ローク=ダンテロン] にもできれば寄ることにしてドライブ。 1430発。
D9; D9a; les Milles, D65; D18; Éguilles, D17; les Quatre-Termes, D67e; D572; D22, zooで何かあるらしく先へ進めず引き返し; D572; C2; D22a; la Barben, D22e; D22; D22c, Vernègues.

(D22eでla Barben [ラ・バルバン] を出るところ)

(山を登って行くD22)

(登りきってちょっと平らになったところにあるD22とD22cの交差点。ピクニックなり山歩きなりをしにきたと思われる車がいっぱいとまってた)

(D22c)
D22はちょっとした山 (山脈かも) に上って行く道で、その山の上に広がる平地にVernègues [ヴェルネーグ] の村がある。さらにそこから見える、多分この辺で一番高いんだろうでっぱりの上に廃墟が見え、それがVernèguesの昔の村 (vieux village) の跡みたいだ。素通りできず、まずVernèguesの今の村を歩いてみる。
1530着。ここまで42km。

(村の入口の交差点と教会)

(奥に見える丘の上に昔の村の跡)

(役場兼学校)

(さっきの教会を裏から。山の上だからか空が近い感じがする)

(村外れにひっそりとサントン人形の工房があった)
Venèguesから古い村の跡に延びる行き止まりの道のD22cを行き、山の上の廃墟へ。
Vernègues, D22c, Vernègues-vieux-village.
廃墟の入口脇に一軒レストランと言うか喫茶店 (サロンドテ、クレプリイなどと書いてあったが、お客さん達はちゃんとした食事をしてるようにも思えた。においを嗅いだだけで見えなかったけど) ができていて、結構繁盛していた。

(駐車場から。このそばにレストランだか喫茶店だかが一軒だけある)
廃墟をぶらつく。

(廃墟からさっき歩いた今の村を見下ろす)

(別の方向の景色。この写真じゃ分からないだろうけどTGVが突っ走ってる)


日差しが強く、アップダウンが激しいので、隅々までは歩かず適当なところで切り上げる。
Vernègues-vieux-village, D22c; Vernègues, D22b; D22d; D16, Alleins.
Vernèguesのある山を北側に下って行った麓にあるのがAlleins [アラン] の街。

(D16)

(D16からAlleinsの街)
ここも素通りできず、散策してみる。 1615着。ここまで48km。
この時点でもう充分な気分になってきたので、今日のところは次のMallemortまでで終わりにしようと決める。
ぶらぶらと街を歩く。




(Salon [サロン=ド=プロヴァンス] やPélissanne [ペリサンヌ] と同様に旧市街 (?) の入口の門の上が時計塔になってる。さらに門の上に « A la MÉMOIRE Des ENFANTS d'ALLEINS MORTS pour la FRANCE » と書かれたプレートと、戦没者の名を列記したプレートが貼られており、戦没者記念モニュメントにもなっている)

(上り坂の奥に向こうの山肌が見える)



(旧市街 (?) の中)
街に隣接してある城跡にも登ってみる。


(街並を見下ろす)

(街の中心部からはちょっと外れたところに市庁舎)

(西北に広がるDurance [デュランス] の谷を撮ると逆光になる)

(街の西にある城跡のある丘の、さらに西の端っこには聖母子像。聖母子像の下では、車で乗り付けた街の若人達が何事か良からぬ企みの相談をしていた)

(城跡の南にある市庁舎の前を通って街の方に戻る。このブログで何度も言ってるけど、これが典型的な地方の市庁舎/役場。左右に男女の学校を従えてる。ここは学校としても現役らしく、 GarçonsとFillesの区別は無くなってた)
思いのほか長いこと (30分くらい) 歩いて疲れが出、だらだらした気分で車に戻る。街中で見つけた地図で確認しといた墓地まで車で移動。
Alleins, D17d, Alleinsの墓地.

(墓地入口には立派な礼拝堂 Chapelle Saint-Pierre が。ファサードは19世紀のものらしいが、礼拝堂自体は11世紀からあるらしい)
予想通り戦没者記念碑を発見し、撮影。

(神殿にプレート型。過不足の無いなかなか素敵なデザイン)
17時前、墓地前を出発して、今日の最終目的地になったMallemortへ。
墓地, D17d; Alleins, D16, Mallemort.

(D16)
1705着。ここまで53km。
都合の良いことに、車をとめたすぐ脇に街の地図の案内板があったので、とりあえず墓地の位置を確認して行ってみる。
今は市街が平地にも広がっているが、古い街並は例によって丘の上にあり、墓地もその丘の稜線上にある様だ。結構な坂道を、もうすっかりくたびれているのでかなりだらだらと、登る。

(これは丘の下に広がる比較的新しい市街)

(写真だと日差しの強さや坂のきつさが、つまりは僕のしんどさが伝わらず残念)

(途中で見つけた教会)

(墓地の向いには何やら軍事施設 (?))
墓地の入口横に戦没者記念碑を見つけ撮影。

(勇ましい兵隊さん型)
墓地の向かいのちょっと高くなった軍事施設っぽいものの上から辺りを見はるかしてみる。

(すぐ北をDuranceが流れる。左にCavaillon [カヴァイヨン] 、右の方には行きたかったla Roque-d'Anthéronや川向こうにはCadenetなど)

(お墓とモニュメントの位置関係)
もうずいぶん疲弊しきってたけど、せっかく来たのでとぼとぼと旧市街の方へ。

(この写真なら坂のきつさが分かると思う)

Table d'orientation [タブル・ドリアンタシオン=展望台に良くある、こっちに何があるとか書いてある丸い机型の案内板] こちら、の表示を見つけ、仕方無く行ってみることに。

(左のうちの壁にある矢印がそれ)
Table d'orientationには、ちゃんとこの前見た橋も載ってて、1847年のものと書いてある。


今回はもう写真あげまくっちゃったから、展望台からの景色はこれくらいにする。橋は西北の方角で、東の方はさっき墓地のとこであげた。
ベンチもあったりしてなかなか快適な展望台だったけど、すぐ脇の家の前のテラスでお姉さんが長椅子に寝そべって長電話してて、あんまりそっち見るわけにも行かなかったりして大変だった。
この後も旧市街をだらだら彷徨いながら少しずつ降りて行って、丘の下の比較的新しい市街もちょっと歩いた。

(新市街から丘の上の旧市街を望む)
市庁舎は新市街の結構広い公園の様な広場の奥にあって、モダンな建物。

Mallemortはこれでよし。疲れてた割には良くやった。 18時発。
Mallemort, D23; D22, Charleval; D67; Lambesc, D15; D7n; St-Cannat, D18; D17; Éguilles, D543; D18; les Milles, D65.

(MallemortからはDuranceに並行して走るD23を行く。 Duranceの谷は広々としてて気持ちいい)

(何となく通ってみることにしたD22でCharleval [シャルルヴァル] に近づいてくると、立派なお屋敷が見えた)

(駐車スペースが無かったので、車から振り向いて撮った雑な写真。おじさんも記念写真撮ってる。通ったのはたまたまなんだけど、ここも面白そうだ。また来なきゃいかん)

(ちなみに街並はこんな感じ。街自体はなんてことないかな。失礼ながら)



(Charlevalの先、山脈をLambesc [ランベスク] の方に越えるD67はこんな感じに荒っぽい道で面白いんですよ)
19時帰宅。全部で97km程。

(2009/06/25/20:45)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2009/03/22の記録:Pélissanne et Salon

今日の地図

Pélissanne [ペリサンヌ] を歩いてこようと決断する。
1505出発。
D8n, Luynes; D7; les Milles, D18; Éguilles, D17, Pélissanne.

(D7)

(D18)

(Éguilles郊外にはシルク (サーカス) が来てた)

(結構お気に入りのD17。相変わらずざらざら)
1550 Pélissanne着。そんなに遠くないイメージなんだけど、結構D17が長くて時間掛かった。
Pélissanneの街は、直径100メートルもなさそうな小さな円形の旧市街を中心に街ができてる。車は旧市街の南側にとめた。

(車をとめたところから、旧市街の方へ。写真突き当たりの時計塔の下の門みたいに見えるのが、旧市街の入口)

(上の写真の門はくぐらず、右に歩いたところ。道路は旧市街の外周。左が旧市街)
外周を反時計回りに歩いて行くと、旧市街北西に教会。

(樹に隠れて教会)
上の写真の右の方に、元は誰かのお屋敷の庭園だったんじゃないかという感じの庭園が開放されてて、市民の憩いの場になってる様だ。看板によると2002年7月13日に、ペリサンヌ市長パスカル・モンテコによって、マルセイユ市長でフランス上院の副議長でもあるジャン=クロード・ゴダン氏臨席のもと、開園されたらしい。めちゃくちゃ最近の話じゃんか。それにしても、ジャン=クロード・ゴダンてラジオでよく耳にするけど、マルセイユ市長だったのね。


教会の右脇を通って、歩いて行ったらさっきのところに出た。よく分からなかったけど、外周通りだったんだ。適当にその辺の路地から旧市街に入ってみる。



(旧市街の中はこういう細い路地)

(当然猫はいっぱいいるんだけど、こいつはさっきの外周沿いにいたやつ。首輪してるし人に慣れてるみたいで余裕でさわれたんだけど、なんか元気がなさそうだった)
旧市街は全然広くないので、すぐに見終わって、今度は教会から東の方に歩いて行くと、赤いインチキチンクエチェントが停まってたりした奥に市庁舎。旧市街の外に新しく建てたんだと思う。市庁舎前にはジャンダルムリとかあったりして、やたらと広い舗装された広場になってた。

(インチキっていうのは、1200だか1300だかの車を500と呼ぶなよ、って意味です)

(これが市庁舎。いま気づいたけど、ギリシャの旗はなんでだろう)
市庁舎の向かいだったと思うけどOffice de Tourisme [オフィス・ド・トゥーリスム=観光案内所] もあって、そこに貼ってあった街の地図を見て、墓地の位置を確認。街中には見つからなかった戦没者記念碑が墓地にある筈なので行ってみる。墓地は北の街外れ。
5、6分歩いて墓地到着。塀越しに覗くと中に案の定記念碑らしきものがあったんだけど、ついたのが裏っかわだったみたいで入口を探すのに手間取った。

(墓地中央に堂々と立つ。すっきりしたデザイン)

(墓地から街の方を望む。教会の尖塔が見える)
教会、市庁舎、墓地の中に記念碑と、うまい具合に見つかって満足した。北から旧市街を突き抜けて、車の方に戻る。

(最初の時計塔の下の門を、旧市街側から)
車に戻ったところで、腹が減ったので近くの大都会Salon-de-Provence [サロン・ド・プロヴァンス] に行ってケバブを食おうと思いつく。 1630 Pélissanne発。
Pélissanne, D17, Salon.

(窓越しだし逆光だしでわけ分からん写真だけど、 Pélissanne - Salon間のD17もなかなか)
いつもはD572で南の方から入って行くんだけど、今日は初めてD17で東からSalon中心部へ。市庁舎からすぐ東のちょうど良いところに駐車スペースを見つけたのに決断が遅く行き過ぎてしまって、一旦中心部の方に行ってしまってからもとの位置にぐるっと回って戻り、駐車。(1650)
街を歩く。 Salonは最初に通り過ぎたときの印象がさえなくて、その時一緒だった友達とガッカリ・ド・プロヴァンスって名付けたりして甘く見てたんだけど、三年前に知人を引率してArles [アルル] にバスで行く途中、乗り継ぎに時間があって歩いてみたら、思いがけずなかなかいい感じで、それまでの不明を反省した。その時以来久しぶりに歩いてみたわけだけど、やっぱりなかなか良い街。

(ボケた写真だけど、突き当たりが市庁舎。この街もさっきのPélissanneと一緒で、中心部にほぼ円形 (やや縦長) の旧市街があって、その周りに新しい市街地が広がってる。市庁舎はその旧市街の外周通り沿いに立ってる)

(市庁舎のところの突き当たりを左に、時計回りで南に歩いた。途中中心部の方を覗いて撮った写真。城が見える)

(上の写真のところで、歩いて来た方を振り返った写真。つまり北向き。奥に市庁舎がある筈)
Salonは確かになかなかいい感じの街で、なんせ大都会だから日曜なのに人通りも多くてにぎやかなんだけど、ケバブ屋が見つからない。
旧市街の外周の東南のすみ辺りに記念碑があったので見に行ったがそれは普仏戦争のもの。

そのすぐ脇にマクドナルドがあり、ケバブが見つからないし、シェークが1.35とまずまず安かったので、マクドナルドでハンバーバー1.10、チーズバーガー1.20といちごのシェイクを食う。ほっと一息だ。
15分程休んだ後、散策再開。近くにOffice de Tourismeがあり、地図が貼ってあったのを見て、あえて中心部は後回しにして墓地に行ってみる事にする。墓地は二つあって、ずっと東の郊外か、旧市街の西南。郊外の方は遠すぎるし新しくできたもので、記念碑はなさそうだから、西南の墓地を目指す。西に行かなきゃいけないのに間違えて南に行っちゃったりしてから墓地に着くが、開いてるのが17時までで三十分程遅かった。
墓地から北に歩くと三年前に利用したバスターミナルに出た。

(正面は市場。バスターミナルはそのすみにある。この写真の右奥に写ってるバス停がそう。バスターミナルというよりバス停だ。旧市街からだと西に出てちょっと南に下がったところ)

(バスターミナル脇から見た城。さっきとちょうど反対側から)
旧市街の西側の外周を北へ進む。

(これが西側の外周道路)

(上の写真にもちょっと写ってるけど、旧市街を西に出たところにあるこの街のシンボル (?) の苔。この周りの広場はいい雰囲気)

(苔の広場の東には、時計塔があって、その下が旧市街の入口。 Pélissanneと街の作りがにてるなあ)
時計塔下の入口から旧市街に入る。

(門を入ると有名なノストラダムスの壁画。写真右の車の上ね)

(ちょっと歩くと教会)
教会脇から城に登るが、この辺で方向感覚が完全に狂い、城の前から下に降りて行ったら、思いがけずさっきの普仏戦争の記念碑が見えてきて混乱する。相変わらず空間把握能力に問題がある様だ。
わけ分からないのは遺憾だけど、まあだいたい歩いたんで、普仏戦争の記念碑のところから東側外周を北に歩いて市庁舎前へ。せっかくなんで外周を一周しとこうと、そのまま反時計回りでさっきの苔の広場のところまで歩いてみる。

(さっきと反対に、北から見る苔の広場)
なんて事無い距離。Salonは大都会なのに、旧市街自体の大きさはさっきのPélissanneと大して変わらないなあ。外周も一周したし、満足して車に戻る。
ケバブを食いに来ただけだった筈なのに、思いがけずSalonで時間を使ってしまいどうしようかと思ったが、さっきPélissanneで計画した様に、 D16で西北のAurons [オロン] の村の方に行きD68でPélissanne方へ戻り、さらにD22でまた北上してCazan [カザン] の方に行く、というルートを行く事にする。
1805 Salon発。
Salon, D16; D68, Auron.

(D16)
途中Auronsの村を散歩 (1820着)。上の方に見晴し台みたいのができていて、マリアさん像みたいなのが見え、そこに行きたかったがいけなかった。向かい合う丘の上には十字架が立っており、そっちは行けた。見晴らしは良かったが、やっぱりマリアさん像の方に行きたいと思ったが、遠いしもう遅いので諦めた。



(暗くてよく分からんだろうけど、十字架のところから向かい合うマリアさんの丘を見る。マリアさんの丘の下に村が広がってるわけで、村の中にマリアさんのところまで登る道があった筈なんだけど、見つからなかった)

(十字架の脇は小さな家の廃墟みたいな感じだった)
PélissanneでD68dが見つからず、探して行ったり来たりしているうちに暗くなってきたのでD22は諦めD15でLambesc [ランベスク] に出て帰って来た。
Aurons, D68; Pélissanne (D68dを探して右往左往してから), D15; Lambesc, D7n; St-Cannat, D18; Éguilles, D17.
Aix [エクス] 西のGéant [ジェアン=Carrefourみたいな大型スーパー] 付属のGSで給油をしてから、 1955帰宅。
ちょうど100km。

(2009/04/05/07:35)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2008/11/30の記録:Eyguières

今日の地図

ドライブ。
Eyguières [エギエール] に行くことにする。 1420発。
D8n; Luynes, D6; les Milles, 線路沿いの道; D65, Roquefavour; D10, la Fare-les-Oliviers; St-Chamas, D16b; D16; D19; N569; D569, Eyguières.
1535着。ここまで61km。一時間弱散歩。 1530発。
Eyguières, D72; Sénas, D7n; St-Cannat, D18; Éguilles, D17, Aix.
Aix [エクス] のcentre [市街中心部] を散歩して、腹が減っていたので青い店でシャワルマを食う。
1820帰宅。
114km程。

(2009/01/05/02:37)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2008/11/11の記録:les Milles et Aix

今日はお休みだ。
日本の人にとっては普通の平日だろうけど、フランスでは今日はお休みなんだよ、嬉しいな。
まあ、僕はうちで仕事すればいいんだろうし、そうすべきなんだろうけど。でも、便乗休み。
何の休みかと言うと、 Armistice [アルミスティース]、第一次大戦の休戦記念日。
最近全く更新してないけど (収集は着実に進んでるんだけど、アップするのが面倒で)、一応こういうのをやってる僕としては、各地の記念碑の前で行われるであろうセレモニーを一遍くらいは見とかなきゃいけないと思った。 5月8日の第二次大戦の方は、去年たまたま見学させてもらうことができたけど、第一次大戦の方は見てない。今回はできれば、うちからだと一番行きやすいles Milles [レ・ミール] の戦没者記念碑の所にでも行ってセレモニーを見てこようと思いながら、夕べは寝た。
ただ、いつからセレモニーが始まるとかは分からない。僕みたいな部外者が気軽に見物に行くのもちょっと悪いか、という遠慮もあった。そんなこんなで、それほど強い意志を持って予定してたわけじゃない。
で、今日午前、今日は休みだと思っていつもの様に、寝てるんだか起きてるんだか分からない感じで、ベッドの中でうだうだしてた。軽い夢でも見ていたと思うが、なんかえらく心地好い穏やかな調べで、ラ・マルセイエーズが聞こえてきた。多分隣の大家の部屋のテレビからだと思う。安らかな気持ちで、曲にあわせて口ずさんでみたりした。それで、マルション、マルションのところまで来たとこで、不意に気づいた。
やべえ、 Armisticeじゃないか。
飛び起きて、取り合えず大家が見てるんだろうテレビをつけたら、 TF1でもFrance2でも中継してた。 M6はさすがにやってなかったけど。飛び起きたはいいけど、眠気が覚めず、部屋は寒いので、 France2にしてボリュームを大きめにすると、ベッドに戻って布団をかぶった。音だけ効いて、画面さえ見なかった。掛け布団がいいにおい。
布団にくるまりながら中継を聴いてると、 11番目の月の11番目の日、 11時にどうのこうのと言ってる。そうなのか、そういうことになってるのか。きっと11時11分に何かクライマックスがあるんだろう。今日はここだけじゃなく、全国の街や村のモニュメントの前で、セレモニーが行われてる筈です、みたいなことも言ってる。そんなことは知ってる。
やべえよ、 les Millesどうしよう。多分les Millesでも今やってるよ。早く見に行かなきゃいけないよ。終わっちゃうよ。でも眠いよ、寒いよ。って感じでうだうだし続けた。
実はフランス生活結構長くなるにもかかわらず、 TVでセレモニーちゃんと見るのも初めてだ。いや、今日も見てないね。ちゃんと聴くの初めて。 les Millesのセレモニーもいいけど、国レベルのもちゃんと知っとかなきゃね、サルコジもきっと演説するし、と、自分に都合のいい言い訳を思いついた。で、布団をかぶったまま中継を聞いていた。
で、やっぱりあったサルコジ演説も、布団のにおいを嗅ぎながら聴いた。
植民地出身の兵に始まって、イギリスやオーストラリア、アメリカやカナダ、バルカンの諸国やイタリア等連合国の、フランスの地でともに闘った人々のことを、フランスは忘れない、と述べた後、勝利を祝うのではなく全ての死者をコメモレ [辞書的にはただ「記念」とあるが、この場合はともに記憶する、思い出す、といった感じだと思う] するのだ、と、相手国の死者も対象となっていることを述べる、二段構えの演説だった。
ふーん、そうなのかな、と思う。今の時代、前段だけじゃあ駄目だろうというのは、よく分かる。後段だけでも駄目なのかあ、というのが感想。まあそうだろうとも思うけど。サルコジの立場とかもあるだろう。セゴレーヌならどう言っただろう、とか思ったが、まあ分からん。大して変わらなかったかとも思う。
それはそれとして、演説上手だな、とも思った。文章もそうだし、話し方も。文章自体はサルコジ自身が書いたわけじゃあないんだとしても、上手な演説を用意し、行うことが政治家に必須とされてるんだろうってことは確かだと思う。日本ではそんなことないよね、多分。日本でこういう政治家の上手な演説聴くこと、あまり無いなあと思う。僕が真面目に聞かないだけかもしれないけど。
ただ、上手な演説ってのは、上手であるが故の危険性とか、上手に書こうとすることから生ずる危険性とかがある。それを考えると、上手でない演説も、それが許される状況も、必ずしも悪くないとは思う。むしろフランスでミッテランやらシラクやらサルコやらの上手な演説ばっか聞かされると、なんか危うい気がしてくるって方が正直なところだ。聞く方も鍛えられてて、簡単に引っかかったりしないのかな。よく分からん。日本の官僚作文が良いとも思えないしね。
そんなことをつらつら考えてたら、やっと目が覚めてきた。もう正午だ。セレモニーも一段落っぽい。昔のミッテランとコールが手をつないでる映像が流れた (ミッテランの葬儀でコールが涙を流したんだって)。それで、メルケルさんが来なかったのが残念だ、と解説者みたいな人が言ってた。メルケルさんは何やってたんだろう。でも大統領が来てたんだからいいだろう。セレモニーこそ大統領の出番なんだろうと思うんだけど、やっぱり首相の方が大事なのかな。
まあいいや、そんなことを書くブログじゃないんだ。で、正午になってようやく目が覚めたし、テレビ中継ももうすぐ終わりそうだし、ということで、もう終わっちゃったとは思うけどles Millesの様子を見に行くことにした。
1215発。
D9, les Milles.
les Millesは近くなのですぐ着く (1230)。街に入って行ったら、記念碑のある方から勲章をつけたおじいさんとその家族らしい人たちが何組か歩いてきた。やっぱりついさっきまでやってたけどもう終わっちゃったんだ。残念。
ちょっと手前にとめて、歩いて記念碑のある広場に行く。

(街には当然三色旗の飾り付け。 Aix [エクス] の街でもちょっと前からCours Mirabeau [クール・ミラボー] が三色旗で飾られてる)
広場にはもう誰もいない。でも記念碑の下に置かれた花束がセレモニーが行われたことを示している。周りに白線が引いてあって、これもセレモニーと関係があるのかもしれないし、ないのかもしれない。 (前に来た時の様子はここ参照)



まあ、これだけ確認したらles Millesは今日はもういいな。 10分もいなかったけど。そのまま帰るのもつまらんのでAixにケバブでも食いに行くことにした。朝飯食ってないし。 Aixに行くにはles Millesの街を抜けて行くんだけど、なんか感じの良い街だなあと思った。 Arc [アルク] 川ってのが流れてるんだけど、その畔なんかが、結構きれいにしてあったりする。 les Millesに住むのも悪くないな、と思った。 Carrefour近いし、 Aixまでのバスも結構あるし。
les Milles, D65, Aix-en-Provence.
休日なんだけどとめる場所があんまり空いてない。飯時だからかな。かなりうろうろしてから、南の方のles 2 frèresっていう、ちょっとこじゃれたレストランの前にとめる。 13時過ぎ。同じ名前の店がcentreにもあるらしいから、こっちは支店かもしれない。 centreまでは結構ある。歩いて10分くらい。
やってないだろうと思ったけど、いつものPalais de Justice [裁判所] の方のケバブ屋を一応見に行く。

(Palais de Justice。フランスの裁判所は原則として、こういう風にギリシャ神殿風の列柱が前面にあるらしいですぞ)
ケバブ屋はやってなかった。

(この通りにある。写真真ん中右側の緑の屋根が入口についてるとこ)
Hotel de Ville [市庁舎] の方から、 Rotonde [ロトンド] 近くのケバブ屋に向う。

(Hotel de Ville南の広場。 Palais de Justice前もそうだったけど、マルシェをやってたみたいだ)
Rotondeそばの青のケバブ屋でケバブ。丸パンだと50サンチーム高くなるので、ガレットで。 4€。量的にはPalais de Justiceの方の店と比べるとちょっと不満があるけど、味は良かった。美味かった。
いつものようにCours Mirabeauで座って食う。

(Cours Mirabeau)
fnacを冷やかしに行ったり、 Cours Mirabeauに戻って靴屋を見たりしてから1425帰宅。
19km程。

(2008/11/12/03:44)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2008/10/08の記録:Éguilles

今日の地図

車を運転したくなったので、雨の中取り合えずCarrefourに行く。買い物は確かに必要だったが、むしろ車の運転がメインの目的であるように感ぜられたので、やや遠回りのLuynes [リュイン] 経由。
1830発。リアワイパーが結構活躍する程の雨。
D8n; Luynes, D7, Carrefour (les Milles).
Carrefourまでは8km程だが、雨の中のドライブは楽しいので、もっと続けたい気分。ただしリアワイパーの動きが気に入らなかった (上の部分が浮いてしまってしっかり拭えない) ので、一旦Carrefourの駐車場に入って、リアワイパーの具合を調整してから、買い物はせずにドライブ続行。と言って、ロングドライブする気までは無いので、 Éguilles [エグィユ] まで行って戻ってくることにする。
Carrefourを出て最初のロンポワンで間違えてles Milles [レ・ミール] の街の方に行ってしまい、しまったと思ったが、同じ道を行って帰ってしてもつまらんし、 les Millesの街を抜けて飛行場の南の道からD65、 D543でÉguillesに行き、 D18で戻ってくるというルートを思いついた。こっちの方が気が利いてる。
Carrefour, les Milles市街, 飛行場南の線路沿いの道; D65; D543.
Éguilles手前で工事のため迂回 (Déviation) させられる。よく分からなかったが多分D10gを左折し、最初の十字路からミシュランの地図では番号の書いていない道を右折し北上し、 Éguilles西の郊外でD17に突き当たり右折してÉguilles市街へ入ったんだと思う。
D543; D10g(?); 番号の振ってない道(?); D17, Éguilles.
Éguillesの街の中で情けないことに街中には一つしか無いロンポワンを曲がり損ね (日が暮れていたし雨が降っていたため、見慣れたロンポワンがちょっと違って見えたせい) 一旦Éguilles東のロンポワンまで行ってしまってから引き返した。
Éguilles, D18, Carrefour.
Carrefourで買い物。パテドカンパアニュ0.60、ラルドン200g0.87、サラミダノワ500g0.86、冷凍野菜 (macédoine) 1.45、卵1ダース1.90、ベーコン味スナック菓子100g0.40、プチサレ420g缶詰1.56、カスレ840g缶詰0.87、プリングルスサワークリーム170g1.06、粉末野菜スープ4袋0.95、牛乳1l1.10、pain de mie0.78x2、リア用ワイパー (B2) 4.30。計17€48。
リアワイパーは推奨されてる大きさとは違うのを趣味で無理矢理つけてるせいで元々上手くいってなかったのだが、今日久しぶりに大活躍させては見たもののどうにも動きが気に入らなかった。で、ワイパーコーナを見てみたら、今つけてるのと同じ製品に改良が施されたらしく、今売ってるやつなら上手いこと取り付けられそうに思われたので、買い直すことにした。
ワイパーは実際上手く取り付けられて良かったのだが、それとは無関係に、買い物している間になぜだか分からぬがどんどん気分が落ち込んで行ってしまった。何を買うか考えるのも億劫で、ただボケーとしながら店内を徘徊し、やたらと時間がかかった。 1930にCarrefourに入って、レジを出るまで一時間もかかった。
帰りもLuynes経由にしようと思ったが、完全にブルーになってしまっていて、遠回りは面倒な気がしたので一番短いD9経由で帰って来た。但しD9はこの辺りでは高速のようになっていて、その上うちに帰ろうと思うと分岐の関係で追い越し車線を走らねばならず、どうしても出したくもないスピードを出さなければならなくなる事が多い。実際今日も後ろからせっつかれて100km/h近く出さねばならず、ブルーな気分にはそぐわない走りを強いられた。
一旦うちの前まで車を持っていって荷物を置いてから、車をとめに行くために部屋を出るといつもの猫が来たのでちょっとだけ遊ぶ。ただ、なにぶん気分が落ち込んでいたので、猫と遊ぶのもぞんざいな感じになった。雨が降ってて猫もぬれてたしね。
21時帰宅。
40km程。
Éguillesに行って帰って来ただけなのに、結構な距離走ったな。

(2008/10/09/22:14)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2008/09/04の記録:RoquefavourからCoudoux辺

早朝ドライブ。

当然、永遠の嘘をついてくれの歌詞をしっかり確認してから出発。

0645発。

おとついより30分早いだけだが、まだ暗い。

こんなに朝が遅いなんて、やっぱり夏は終わっちゃったんだなあ、と、ちょっと寂しい気分になる。

Luynes [リュイン] からles Milles [レ・ミール] を回ってRoquefavour [ロクファヴール] の方からCoudoux [クドゥークス] を抜けて崖を登ってD17で帰ってくるという計画。

les MillesのCarrefourの脇からすぐにD9に乗れると思ってたが、 Marignane [マリニャーヌ] 方面は乗れないみたいなのでles Millesの街を抜けて飛行場の南の線路沿いの道からPole d'activité [ポール・ダクティヴィテ] の方に行って、そっからD9に乗った。

D8n; Luynes, D7; les Milles, 線路沿いの道; D65; Pole d'activité手前, D9; D543; D65, Roquefavour; D10; D?; D19; Coudoux, D67e.

D8nに入って早速歌ってみたが、歌詞を覚えてきたからと言って、日を置けばその他の点が改善されるというはずもない。なかなか上手いこと歌えないもんだ。他の歌もいくつか試すがどれもこれもいまいち。取り合えず翳りゆく部屋を歌ってお茶を濁す。


(朝のles Millesの街)


(les Millesの戦没者記念碑)


(線路の向こうに飛行場、って、ほとんど見えないね)


(D543。わざわざ遠回りしたのはD543とD9の交わる辺りの荒涼とした景色を見るため。もうちょっと広い範囲が見える様に撮らないと、分かりづらかったか)


(Roquefavourの水道橋)


(Coudoux)

CoudouxからのD67eは、北の山の荒れた斜面を九十九折りみたいにして登っていく道なんだけど、途中車を止められる所があったので、とめて写真を撮る。

(下はCoudouxの街)


(頂上はもうすぐ)


(奥がMarseille [マルセイユ] へ向う高速 (A7)。左がAix [エクス] を越えてNice [ニース] へ (A8)。右はAvignon [アヴィニョン] の方へ (A7)。 Lyon [リヨン] にも、 Paris [パリ] にだってつながってる)


(朝日が昇る)

車に戻って、さらに坂道を登る。登った先はこんな感じで、台地になってる。

D67e; D17, Éguilles.


(D67eとD17の交差点。なかなか味があっていい。北 (右奥) がLambesc [ランベスク]、 St-Cannat [サン=カナ] 方面、西がPélissanne [ペリサンヌ] からSalon-de-Provence [サロン=ド=プロヴァンス] へ続く。今日はどっちも行かないで、右、 Aixの方へ)


(逆光で何も見えないD17)


(これだとなんとか見える。ここはD17の中では広い方なんだけど、この道をみんな90kmで走る。それが制限速度。最初はゆっくり走ってたんだけど、どんどん追い抜かれていって、悔しいので最後は僕も90kmで走ってやった)

Éguilles [エグィユ] の街の写真も撮ってみたけど、逆光でよく見えない。 ÉguillesからはそのままD17でAixへ。

この辺でまた思い出した様に永遠の嘘を…を歌ってみた。この歌って、もうちょっと年を取らないと本当の所は分からんよね、人生の勝ち負けが8割がたついちゃった、ってくらいにならないと、なんて思った。まだ俺らだと5割から、せいぜい6割くらいといったとこだろう、まだ大逆転を夢見ることも許される、って言うか、それを夢見るくらいじゃなきゃあ駄目な年だろう。でも、大逆転が無きゃあ同世代の大半には勝てないことには変わりはないか。何をもって勝ち負けを決めるかにもよるけどね。いや、何をもってしても勝てねーよ。

なーんて気分になったところでAixに到着。 (この時点で8時頃。一時間が目安の早朝ドライブにしてはちょっと長過ぎた。それはそれとして、ここを書いてて、たまたまドライブに出る直前にトイレで読んだ鷗外の原田直次郎評を思い出した。原田の画名の、必ずしも世に顕われなかったことを惜しみ、その早世を悼む文を終えるにあたって、「私はただ最後に原田の未亡人の上を一言したい」といい、原田の家庭の温かだったことを述べ、「想うに原田は必ずしも不幸な人ではなかった」と、鷗外は結んでいる。原田は亡くなった時36だったらしい。あせるねえ)

そのまま帰るつもりだったけど、破れかぶれな気分で散歩してやることにした。

破れかぶれで捨て鉢だった割には、タダでとめられる場所ではcentreに一番近いとこにとめられた。神は俺を見捨ててないのかな。いや、ただ朝が早かっただけだよ。

Aixに車で来られる方にとっておき情報です。下の写真の場所が、 centre [街の中心部] に一番近い、タダでとめられるスペースです。何時間とめても、何日とめても、何年とめてもタダです。何年もとめてたら、壊されちゃったりするだろうけど。その上、かなり運が良くないと空いてないです。ただ、この道 (一通) 沿いはずっとタダなので、僕はいつもこの辺にとめてます。

ヒントはこれ。

この建物と空き地を目印にしてください。バスのターミナルのそばです。 Cours Mirabeau [クール・ミラボー] まで徒歩で5分程。

散歩中も写真は撮ったけど、今はめんどくさいので、また後で、気が向いたら追加します。

取り合えず朝のロワ・ルネ [ルネ王] とマルシェの様子だけ。

45分くらい散歩して (結構歩いたな)、 9時頃帰宅。

ドライブは54km程。

(2008/09/04/16:28)

| 西 | 16:28 | comments(0) | trackbacks(0) |

2008/07/12の記録:Vitrolles

昨日ソルドなもんで思わずジーパンを買ってしまった。ただ、安くなってるのを買ったのでサイズは選べず、いつもよりきつめのを買ったせいで、普段のベルトだと余ってしまう。そんなわけで、穴でとめるんじゃなくて、はさんでとめる形のベルトをソルドのうちに買いにいこうと、昨日行かなかったVitrolles [ヴィトロール] のCarrefourまで行ってみた (Carrefourが目的ではなく、そこに付属してる店が目的。いつものles Milles [レ・ミール] のCarrefourよりVitrollesのCarrefourは規模が大きく、付属の店も多い)。
D9, Vitrolles。
色々見て、結局、デザインは気に入らないけど安くなってたJulesって店の2€95のベルト (70%引き) を買った。電器屋でアートガーファンクルの新しいCDを見つけたので買おうかと思ったが、別に安いわけでもない (15€いくらか) ので今日は買わない。
Vitrolles, D55f, Carrefour脇の道; Vitrolles village; D113; D21; D55; Velaux, D55c?; D20; D10。

(に来た、 Vitrolles villageにある岩とその上の礼拝堂。左上に街灯が入ってしまったのが残念だ)

(D113から見えるMarignane [マリニャーヌ] の飛行場 [=マルセイユ・プロヴァンス空港])

(同じ場所から、さっきの岩と飛行機雲)

(D55からVelaux [ヴロー] の街)
そのまま帰るのも残念に思われたのでAixの西の郊外に車をとめ、散歩。昨日も歩いたのに、またソルドの店を見て回った。

(Rue de la République)

(売り出し中のロガン。最近、セダン型じゃなく、こういう5ドアで7人乗ろうと思えば乗れるやつが走ってるのを良く見るようになった。新しくなったカングーがいまいちだし、大体同じ感じで使えそうだからロガンでいいかってことじゃないかと思う。僕としても新しいカングーよりはこっちの方がいいや)

(Cours Mirabeau)
1740帰宅。
59km程。

(2008/07/27/07:48:29)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2008/03/16の記録:Aérodrome des Milles

16日付で朝日及び読売のサイトが、サンテグジュペリの搭乗する偵察機を撃墜したドイツのパイロットが判明した、という記事を載せている。両紙とも、ドイツのパイロットがその日飛び立った飛行場の所在地を「南仏ミル」としている。最初はぴんと来なかったが、飛行場がある事から考えると、この「ミル」は « les Milles » (僕自身は「レ・ミイル」と発音している) の事なのではないかという事に思い至り、両紙の記事の元ネタであるラプロヴァンスの記事で確認してみた。やはりパイロットのHorst Rippertさんが飛び立ったのはles Millesの飛行場だった。【訂正:朝日の記事は時事通信からのもので、その元ネタはラプロヴァンスで間違いありませんが、読売はルフィガロの記事も参考にした様です。うちの方の地方紙のスクープかと思って喜んでたら、全国紙でも紹介されていたわけですね。残念。ちなみに、何となくその気になったので、ラプロヴァンスの記事のうち、リッペルトさん発見に至る調査の過程を紹介した部分を翻訳してみました。文章を書く訓練にもなると思って。一番下に載せておきます】
ちょっとミーハーな気もしたが、せっかくなので、飛行場まで行ってみることにした。
ちなみにles Millesは僕が食料品を始めほとんどの買い物を済ませているCarrefourのある街で、 Carrefourは東の、飛行場は西のそれぞれ街外れにある。
1235発。
D8n; Luynes, D7; les Milles, 線路沿いの道 (この道はなぜだか知らないがミシュランの地図に載ってない。普通のちゃんとした道なのに), 飛行場の南側.
1250着。
車を降りるとちょうど飛行機が着陸する所で、慌てて写真を撮る。


滑走路のそばまで行って落ち着いて写真を撮る。

滑走路をはさんで右と左に飛行機の倉庫 (なんか馬鹿みたいな言い方だ。なんて言えばいいんだろう) がある。左側には管制塔も。


もう一機くらい飛んで来ないかなあと思いながら、なんせ広々として気持ちがいいので腕をぐるぐる回したりしながらふらふらしていると、気づかないうちに飛行機が着陸態勢に入ってた。また慌てて写真を撮る。



気分がいいのでまたぷらぷらしていると、今度は一機、離陸しようとしている。







飛び上がった瞬間に機体が横風に煽られたのでひやっとしたのは僕が素人だからだろう。すぐに体勢を立て直すと気持ち良さそうに上昇していった。
なんせ広々として気分が良いので大変満足。
飛行場の西側の施設がありそうな所へ行ってみる。
1310発。
線路沿いの道; D65.
西側の施設は厳重そうな門があってなんかいかめしい。


つまんないので、今度は東側へ行ってみる。ちょうど飛行場を一周する感じ。
D65; D543, St-Pons; Arc川北側の道; D18, les Milles, 街中を抜けて飛行場東側.

こちらは親しみやすい雰囲気。
こんな感じで飛行機クラブの掘建て小屋がいくつかある。夏は暑そうだ。


これが飛行場の事務所の建物。レストランもあって、いいにおいがしてた。中には入らなかったけど、結構人がいた。お金持ちのちょっとしたレジャーなんだろう。

ついでにles Millesの街を散策してから帰る。

1350 les Milles発。
les Milles, D7; Luynes, D8n.
途中D7沿いで、行きに気になった桜っぽい木の写真を撮る。写真を見るとあんまり桜っぽくない。

1415帰宅。
30km程。

以下ラプロヴァンスの記事の一部の翻訳。
---
調査―唯一の手がかりとなったエンジン

どのようにしてリュック・ヴァンレルはホルスト・リッペルトを見つけ出すに至ったのだろうか?2000年にリウ島の近く、水深80メートル程の海底からライトニングの残骸を発見したのは彼である。コメックスによって引き揚げられたその残骸の身元は、 2004年4月、通し番号から明らかになった。奇妙な事が一つあった:散らばった鉄板の破片の脇に、リュックはV12エンジンを見つけたのだ。飛行機乗り作家のライトニングのエンジンもV12ではある。しかし、発見されたエンジンはメッサーシュミットBf109のものだったのである。
そこから、ドイツの追跡者と『戦う操縦士』の著者とが衝突したのではないかとの仮説が導き出された。 2006年に海底から引き揚げられたエンジンは、身元究明のためドイツに送られた。その作業にあたったのは、若いバイエルン貴族で、戦争中に失踪した飛行機の調査を行う協会を設立したリノ・フォン=ガルツェンだった。
数ヶ月に及んだ調査の結果、そのエンジンは1943年12月2日に米軍の戦闘機によって撃ち落とされたアレクシス侯、フュルスト=フォン=ベントハイム=ウント=シュタインフルト搭乗の飛行機のものである事が確認された。米軍機は、重爆撃に対するマルセイユの潜水艦基地の防衛にあたっていたのである。このようにして、サンテクスは空中衝突によって死亡したのではない事が明らかになった。
バイエルンでは、リノはアレクシス・フォン=ベントハイムの弟クリスチャンを簡単に探しあてる事ができた。彼は兄の死後フュルストの称号を継承していた。実はフォン=ベントハイム=ウント=シュタインフルト一族は、ドイツでも最も古く最も尊敬された貴族の一つである。その名字はアレクシスの所属していたJgr.200の戦闘機乗りの生き残り達の記憶の扉を開くにはもってこいの通行手形だったのである。
44年夏にプロヴァンスの部署に配属されていたと思われる五人の身元が明らかになった。リノ・フォン=ガルツェンは一人ずつコンタクトを取っていった。ホルスト・リッペルトの番が来ると、彼はリノに電話口でこう漏らした―「あなたはもう探索を終わりにできますよ。エグジュペリを撃ち落としたのは私です」。リノが彼の元を訪ねたのはその翌日だった。
---
【訳注:リュックは上記の通りサンテグジュペリの飛行機の残骸を発見した人物で、ダイバー。ラプロヴァンスの記者は彼に取材して記事を書いた模様[ラプロヴァンスがリュックに取材したのは多分確かですが、ルフィガロによるとそもそもリュックともう一人、ジャック・パラデルというジャーナリストが共著で本を出すことになっているそうで、それに基づいて(その宣伝のために?)一連の報道がなされた様です]。「飛行機乗り作家のライトニングのエンジンもV12ではある」の部分、確かではありません。原文は « Comme ceux du Lightning de l’écrivain-aviateur »。ウィキペディアによれば確かにライトニングのエンジンもV12なので、とりあえず上記の様に訳しておきました。 2段落目の頭、「ドイツの追跡者」は「ドイツの戦闘機」とも訳せ、その方が適当な気もしますが、それに続く「〜の著者」との関係を考えて、あえて語源に近い訳語を使いました。 prince Alexisをどう訳せば良いか自信は無いものの「アレクシス侯」としておきました。 Jgr.200は文脈から、部隊か連隊か、そんな感じのものだと推測されますがよく分かりません。フランス語(英語でもそうだろうけど)の書き癖で、サンテグジュペリがいろんな呼び方をされてますが、面白いのでできるだけそのまま訳してみました。ドイツの人名等については、ドイツ語の発音の法則は全く知らないので適当です】
【蛇足:この件については日本でも多くの方が各方面から興味関心を寄せている様で、様々なブログ等で言及、紹介されています。仏文学にも戦闘機にも戦争にも興味の無い素人があまり首を突っ込まない方が良さそうな気がしてきました。僕が関心を持った理由はただ、近所の地名が出て来たお陰でドライブの目的ができた、というだけのことです】
| 西 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
  | 1/4 pages | >>>|
ciguwerao
CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
LATEST ENTRIES
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
SPONSORED LINKS
qrcode