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2017/01/30の記録:西荻窪の美人について

今日西荻窪で美人が降りた。

どこで彼女が乗ってきたのか、覚えていない。

乗ってきたときのことは覚えている。

細い緑の「パンツ」に、まあそんなに長いわけではないブーツを履いていたと思う。上は裾が短く襟の高い、つまりハイカラな暗色系のジャケット。

髪型はよく覚えていない。長かったか普通だったか。短くはなかったが、覚えていても髪型を表す言葉を僕は知らない。

ばっちりおしゃれを決めてきたというわけではない。

むしろ、普段着ですけど? という装いで、それでいながら自分が美人であることをはっきり自覚してその美人を周囲にアピールしながら美人をやっている、美人であった。

まるで美人が服を着て歩いているような美人であった。

僕の右斜め前のドアから入って来て、僕の目の前をつかつかと通り過ぎ、僕の左斜め前の席に座った。

あんなほっそいのによく足を突っ込んだな、と思ったので、彼女が乗って来たときのことはよく覚えている。

だが、それがどこの駅だったかは忘れてしまった。

彼女は僕の左斜め前の席に座ると、細く長い足を美人らしく組み、基本的にはうつむき加減で、しかし何度か、ハッ、と何かに気づいたように視線を上げて、やがて考え込むような仕草を見せた。

上目遣いで僕の様子を窺う、というようなことはなかった。

あ、別に僕は彼女をじろじろ見ていたわけではない。

そのときは言語学の難しい本を読んでいて、一段落読んでは頁から目を離して顔を上げて休憩し、また一段落読んでは顔を上げて休憩し、という具合だったので、一段落ごとに左斜め前にいる彼女が僕の視野に入った、というだけである。

僕の左斜め前に美人がいるのと、僕の左斜め前に美人がいないのとでは、それで僕の人生の何が変わるというものでもないのではあるが、やはり僕の左斜め前に美人がいたほうがいいのである。そしておよそ十数分の間、僕の左斜め前に美人がいた。

その彼女が西荻窪で降りた。

僕は西荻窪という駅について、何も知らない。

手前の荻窪であれば、あそこは井伏がいたとこなので僕にとっては聖地のような土地だが、西荻窪には全く縁が無い。

そこに何があるのか、どういう街なのか、何も知らない。

荻窪だって知らない。

だからそこが美人にふさわしい駅なのかどうか、知らない。

そこで美人が降りるということが、それなりにあることなのか、珍しいけれどもあって不思議はないことなのか、まずあり得ないことなのか、天地開闢以来未だ嘗て誰も想像し得なかった事態が今日、僕の目の当たりに出来したということなのか、知らない。

それでも僕は、彼女が降りて行くのを見て、不意打ちを打たれたように、おや、と思った。

そうか、と思った。

そういうこともあり得るのか、と思った。

つまり、何も知らない僕にとっては、美人が西荻窪で降りるということは、予想し得ないことだったわけである。

僕の先入観からはそれは、奇異なことに映ったのである。

電車は三鷹行きである。

そう予想していたわけではない、彼女が西荻窪で降りて行った後になってから、よくよく考えてそのことに気づいたのだが、本来彼女の降りる可能性のある駅は、吉祥寺しかあり得ないはずだった。

西荻窪の手前、荻窪阿佐ヶ谷高円寺中野。

美人の降りる駅とは思われない。

三鷹も美人は似合わない。

三鷹で乗り継いでその先に行く、などということを美人はしない。

吉祥寺しかあり得なかった。

そしてその通りに彼女が吉祥寺で降りていたなら、僕は、まあそうだよな……、と思い、やっぱりそうなのか……、と思い、そうでしかあり得ないのか……、と思い、なんだかんだ言って結局吉祥寺かよ、ちきしょうめ、何が吉祥寺だ、けっ……、と、忌々しく思ったに違いない。

そしてその後の一日を不機嫌に過ごしたことだろう。

ところが彼女は西荻窪で降りた。

前途に光明が差してくるようではないか。

世の中捨てたものでもない、と、うれしくなってくるではないか。

いつものように大した一日でもなかったが、それでも、美人に会えた、と、そして彼女が西荻窪で降りて行った、と、胸に射し込んだ光の温もりを心地よく抱きながら、その日一日を過ごすことができた。

ただし、繰り返すが僕は西荻窪という駅を何も知らない。

えっ、西荻窪ですかぁ? 美人が降りても不思議じゃないと思いますよぉ。あそこには〇〇があるし、××もあるし、先月△△もできたって話だしぃ。私も今度行ってみなきゃって思ってるんですぅ。

とかいうことだとしたら、くそったれである。

(02/01/01:35)
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2013/12/04の記録

もうずいぶん経ってしまったが、映画『ハンナ・アレント』をみた。
ハンナ・アレントは、立派で正しい人なんだろうけれど、何かおっかなく、厳しい人だろうと思い、人間ではない超人かなにかのようなイメージを持っていた。
それで、彼女の本には何かしら正しいことが書いてあるには違いないとしても、読んだらきっと本越しに叱られてしまうんだろう、そしてひどくへこまされてしまうんだろうと思って、敬遠してきた(実際には、難しくて俺にはどうせわからんだろう、という方が強かったかもしれんが)。
それがこの映画では、アレントをとても人間的に描いていた。
アレントを人間としてとらえる視点を得られたことが収穫だ。

この映画の大事な場面は二つ。
一つはアレントが「ユダヤ人を愛したことなどない」というところ。
もう一つは、アレントの大学での講演の後で友人が「君は何でも哲学にしてしまう」というところ(「何でも」という点、記憶が確かでない。「ユダヤ人を」といっていたかもしれないし、別の言葉だったかもしれない)。

一つ目。
この映画はなかなかの評判だとの話だが、こんな台詞のある映画が日本で評判がいいということを、率直にいっていぶかしく思う。
この「ユダヤ人」を「日本人」と置き換えても、問題なく受け入れられる人が、今の日本にどれだけいるだろうかと思うのだ(おそらく日本だけでなくよその国でも似たようなものだと思う)。
この映画をわざわざ見に行こうという人の中には、これを受け入れられる人の割合は、日本の平均と比べればかなり高いとは思うが、それでも半分いくかどうか。
そう思っていたところに、新聞で面白い投書を読んだ。その投書をしたのは年配の女性であったと記憶しているが、彼女はこの映画にいたく感激すると同時に、このすばらしい映画を熱心に見ている人がたくさんいることにも感動し、「日本人を誇りに思った」というのだ。彼女は劇中のアレントの「ユダヤ人を愛したことはない」という台詞をどう聞いたのだろうか。
おそらく聞き飛ばしたのだろう。「ユダヤ人」だから。「日本人」でも聞き飛ばせただろうか。あるいは、「日本人」だったとして、そしてそれをしっかりと聞き取ったとして、同じように感激することができただろうか。

二つ目。
僕はもちろんアレントに共感しながら映画を見ていたし、アレントの指摘を批判する人々の気が知れず、アホじゃないかと思っていた。そう思って見ていたにもかかわらず、この友人の「哲学にしてしまう」という批判がひどく胸に染入った。アレントを批判する人々の気が知れたように思ったのだ。
これは僕の解釈だけれど、この友人はアレントに対する自分の論理的敗北を無意識にせよ覚っていたと思う。アレントの正しさに半ば気づきながらも、その正しさで押し切ろうとする、正しくない人々が正しさを受け入れることに躊躇するその気持ちを汲み取ろうとしない姿勢に、怒りというか悲しみを感じていたのだろうと受け取った。
あのときの苦渋に満ちた表情は、自分が間違っているかもしれないという恐れと、正しいかもしれないことを受け入れられない苦しみと、自分の気持ちをアレントがわかろうとしてくれない悲しみの表情であったと見た。
そう見た上で、僕はこの友人の台詞に共感した。
とはいえ、僕はこの件に関するアレントの正しさを疑わないし、その正しさを自らも傷つきながらつかみ取ったアレントの志にも共感する。
だから、どちらの側にお前はつくのか、と聞かれたら、間違いなくアレントの側につく。そしてその批判者を説得しようとするだろう。しかし躊躇なくそれができるのは、この議論がユダヤ人の物語を巡る議論であり、正直にいってユダヤ人の物語は、僕にとってさほどの重要性を持たない物語だからであろうと思う。
もし自分がその中で育ち、それをよりどころとして生きてきた物語を目の前で「哲学」されてしまったのだとしたら、その哲学の正しさをすんなり受け入れられる自信は到底ないし、あの友人のように、正しさに拠って物語を脅かそうとする人物を傲慢であると批判せずにいられる自信もない。
だからこの件についての劇中のアレントの態度に不安を覚える。劇中のアレントは、僕が共感した友人の心根を理解したようには思われない。「友人はえらぶべきだった」という言葉で、彼を切り捨てている。
繰り返すが、僕はこの件に関するアレントの正しさを疑わないし、その正しさを自らも傷つきながらつかみ取ったアレントの志に共感する。
しかしその上で、自分をまさに自分たらしめている物語を脅かす「正しさ」に身を委ねることのできない人々を、その心根に対する共感もなくあっさりと切り捨ててしまったのでは、世の中を動かすための説得力という点で心もとなく思うし、「傲慢」という批判を免れないと考える。
アレントがもしそのような人であったとすれば、冒頭で書いた僕のアレントへの「恐れ」は、的を射たものであったのかもしれない。
学者仲間の友人を切り捨てながら、イスラエルに住むもう一人の友人、「ユダヤ人を愛したことなどない」という台詞が向けられた友人について、「彼は友人ではなく家族だ」とした台詞が、この点について映画のつくり手が施した救いなのかと思う。

この映画は世評が高いと聞いている。それは日本に限ったことでないだろう。それは十分にうなずける。人間であるアレントの強さ、意志の確かさに憧れを感じるし、問題の核心に迫ろうとする志の高さに非常な感銘を受けた。強く大きな批判にもかかわらず揺るがない雑誌だか新聞だかの社長だか編集長だかがアレントによせる信頼にも感じいった。ジャーナリストの矜持を見た。そのような映画であるのだから、ユダヤ人以外の人々にとっては、この映画に感激し共感するためのハードルは高くないだろう。
僕はユダヤ人やイスラエルについてほとんど知識がないのだけれど、この映画はイスラエルやユダヤ人の間でも評価が高いのだろうか。もしイスラエル国内やユダヤ人の間でも、この映画を心から受け入れられる人がかなりの程度までいるのだとしたら、ユダヤ人恐るべし、と感ずる。

| 雑文 | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |

雑文:PACA六県及びGard県における国道の県道格下げに伴う路線名変更に関する一考察 (その一の注)

【このページは「PACA六県及びGard県における国道の県道格下げに伴う路線名変更に関する一考察 (その一)」という記事の注です。本文はこちらをご覧下さい】

N7:Paris [パリ] から南下しLyon [リヨン] へ。 Rhône [ローヌ] 川に沿ってさらに南下しVaucluse [ヴォークリューズ] 県のAvignon [アヴィニョン] とCavaillon [カヴァイヨン] のほぼ中間でDurance [デュランス] 川を渡ってBouches-du-Rhône県に入る。 St-Andiol [サンタンディオル]、 Orgon [オルゴン]、 Sénas [セナ (ス?)]、 Lambesc [ランベスク] などを通ってAix-en-Provence [エクサン=プロヴァンス]。さらに東進してVar [ヴァール] 県のSt-Maximin-la-Ste-Baume [サン=マクシマン=ラ=サント=ボーム]。さらに東進してNice [ニース]、Monaco [モナコ] を通りMenton [マントン] のイタリア国境まで。

N8:AixからMarseille [マルセイユ] まで南下し、そこから東進してAubagne [オーバーニュ]、県境を越えてToulon [トゥーロン] まで。

N96:Sisteron [シストゥロン] 南、 Château-Arnoux-St-Auban [シャトー=アルヌー=サントーバン] でN85から分岐しDurance川沿いを南下、Manosque [マノスク] (以上三都市はいずれもAlpes-de-Haute-Provence [アルプ=ド=オート=プロヴァンス] 県) を通ってAixへ。一旦N7に合流しAix東でまた分岐し南下してAubagneまで。

N113:Marseilleから空港のあるMarignane [マリニャーヌ] の隣、Vitrolles [ヴィトロール] を通りSalon-de-Provence [サロン=ド=プロヴァンス] から西進してArles [アルル] へ。その後県境を越えてNîmes [ニーム]、 Montpellier [モンペリエ]、 Narbonne [ナルボンヌ]、 Carcassonne [カルカッソンヌ]、 Toulouse [トゥールーズ]、 Agen [アジャン] を通ってBordeaux [ボルドー] まで。 (途中他の国道との共有区間有り。それにしてもBordeauxまで行ってたとは知らなかった。凄いなN113) なお、 Bouches-du-Rhône県内、 St-Martin-de-Crau - Arles間は高速に準じる形態の道路となっており、事実上高速A54の一部となっている。但し制限速度は高速の130km/hではなく中央分離帯のある一般道の110km/h)

N560:Var県のSt-Maximinから南西方向へ。 St-Zacharie [サン=ザシャリイ] を通りBouches-du-Rhône県に入ってAuriol [オーリオール] を通過、その西でN96と合流。なお、St-Maximin以北にはD560という道があり、 N560と接続している。

N368:les Pannes-Mirabeau [レ・パンヌ=ミラボー] 東から西進してGignac-la-Nerthe [ジニャック=ラ=ネルト] 西でN568と合流。県内完結。

N568:MarseilleからÉtang de Berre [エタン・ド・ベール、ベール湖] 南を通り、 Martigues [マルティーグ]、 Fos-sur-Mer [フォス=シュル=メール] から西北へ直進。St-Martin-de-Crau [サン=マルタン=ド=クロー] 西でA54及びN113と合流。県内完結。なお、 Martigues以西では高速程ではないが、かなり高規格の道路となっておりA55の事実上の延長部となっている (A55はMarseilleが始点でMartiguesの西郊でN568と接続した地点で終わり)。またMartigues付近はA55は無料であり、 N568のバイパスとしての役割を果たしている。

N569:Fos-sur-Mer北でN568から分岐、北上しIstres [イストル]、 Miramas [ミラマ] を通りその北 (Salonの西) でA54及びN113と接続。県内完結。なお、 N113以北ではD569という県道が続く。

N1569:N569のIstresにおけるバイパス。西郊を通る。県内完結。

N570:ArlesとVaucluse県のAvignonを結ぶ。なおArlesから南方へStes-Maries-de-la-Mer [サント=マリー=ド=ラ=メール] まで続くD570という県道がある。

N572:Arles西でN113から分岐し西進してGard県に入ってSt-Gilles [サン=ジル]、Vauvert [ヴォーヴェール]、Aimargues [エマルグ] を通り、その西でN113と再合流。なお、Arles西のN113との分岐点から3km程の区間は、高速に準ずる形態で事実上A54の一部。 3km程西進した地点でA54に接続、 N572は通常の一般道の形態に。
| 雑文 | 07:37 | comments(0) | trackbacks(0) |

雑文:PACA六県及びGard県における国道の県道格下げに伴う路線名変更に関する一考察 (その一)

はじめに
日常的に利用している道が国道から県道に格下げになった事については、一昨年の年末、いくつかの記事で触れた (06/12/09, 06/12/17, 06/12/18, 06/12/27の各記録参照)。今これらの記事を改めて読み直してみると、実はフランス全土で行われたらしい国道から県道への格下げを、リアルタイムで、それも全く予期せずに体感した者の、驚き・不安・当惑や、当初の嫌悪・否認から、諦め、そして (渋々ながらの) 受容へと至る心の動きが、ひしひしと伝わって来る様で、なかなか興味深い様に思う。
それからもう二年近くが経ち、今となっては格下げされた新しい県道達はもはや当たり前の存在となってしまった。それらの道を走行していても、そこがかつて国道であったという事実を特に意識する事もない。 D8nはD8n、 D96はD96で、それ以上でも以下でもない。 D6やD14c、 D543といった、かつても今も変わらずに県道である道々と何の違いもない、一つの県道、黄色い表示板で示される一つの県道に過ぎない。
しかし、実は今でも、それらの道がかつては国道であった事を意識させられる瞬間がある。それらの道を通って県境を越える瞬間である。かつては同じ名前だった筈の道が、県境を越えると名前が変わるのである。もちろん、旧来の県道であっても、それが県道である以上、県境を越えて同じ名前が続く事は稀である。例えばD10とD223のように、接続する一本の道であっても、県境で名前が変わる事が多い。しかし、格下げされた県道の場合は、それぞれの県が付けた新しい名前の中にかつての県を越えた共通の名前の痕跡が残っているだけに、かえって、県ごとの名前の違いが鮮明になり、その事が、国道の県道への格下げという歴史的事実を、我々に思い出させるのである。
格下げの際の各県における名称変更の方法とその特徴を、分析・整理しておく事は、この歴史的大事件の持つ意味をしっかりと受け止め、国と県 (地方自治) の問題、あるいは物流や人の移動、道路・交通網と言った諸問題に未来志向で取り組んでいくための、必要にして不可欠な重要な一ステップとなると言えよう。
より卑近な、実用的な側面から言えば、古い地図しか持ち合わせないで当該の道路を走行している際に、仮に県境を越えてしまったとしても、県ごとの名称変更方法の特徴を知っていれば、慌てる事無く対処する事ができるだろう。また、特に意識する事なく走行していた道の名称が、かつて国道であった事を示す特徴を持つ事に気づいたならば、そこから、かつての国規模での地域間・都市間ネットワーク構想がどのようなものであったか、想像・推測する事もできよう。国道の県道格下げに伴う各県ごとの名称変更についての分析は、個人の日常生活に密着した一つの発見を、より大きな、高次元の、社会的枠組みにおける考察へと接続する一助にもなると考えられるのである。
格下げと名称変更という大きな変革の渦の中に置かれ、当惑や不安、怒りや悔恨といった心の動揺を抑えきれずにいた当時にあっては困難なものであったこの課題も、二年という時を経た現在なら、冷静に客観的に取り組む事ができる。本稿では、 Bouches-du-Rhône [ブーシュ=デュ=ローヌ] 県をはじめとしたPACA [Provence-Alpes-Côte-d'Azur、プロヴァンス=アルプ=コートダジュール] 地域圏及び、「歴史的プロヴァンス」を考える上では無視する事ができないという点でPACA各県とは深い関係にあると言えるGard [ガール] 県における、 2006年に実行された国道から県道への格下げに伴う路線名変更について、検討を加えてみたい。この作業は、すでに述べたように、今後の諸問題に対する未来志向の取り組みの基盤となるのみならず、反対に過去に遡って、かつての道路・交通網のあり方を推測・考察し、ヒトやモノの流れという観点から地域の歴史をより深く立体的に理解するためにも、貴重な情報を提供してくれると期待できるのである。

1. Bouches-du-Rhône (13) 県
というわけで、修飾過多で内容空虚な (あるいはハッタリが過剰な上に適切でもない) 前置きはこれくらいにします。まあ、言いたい事は、国道の県道格下げに伴って道の名前が変わったんだけど、県ごとに変わり方が違ってちょっと面白いんで調べてみようってことです。各県ごとの変わり方の特徴を知っていれば道に迷ったり慌てたりしないで済むし、ここって昔は国道だったのよね、って事を知ってれば、場合によっては会話の種にもなったりするんじゃないでしょうか。都市間ネットワークとかその歴史とかは、ハッタリではありますが、そう言う視点からあえて捉えて地図を見てみると面白いってことはあるかと思います。未来志向は何となく思いつきでとってつけました。自分で読んでも何の事やら分かりません。
それはそれとして、さっそく具体的な事実の確認作業に入ろうと思います。まずは我等がBouches-du-Rhône県から。

2004年の段階でBouches-du-Rhône県には次の様な国道がありました。
N7
N8
N96
N113
N560
N368
N568
N569
N1569
N570
N572
(それぞれの路線の詳しい説明は、こちらをご覧下さい)

これらの道が県道格下げによってどの様に変わったかを次に見ます。
N7→D7n。
N8→D8n。
N96→D96。
N113→事実上A54の一部となっているSt-Martin-de-Crau - Arles間はN113のまま。その他の区間はD113。
N560→D560。
N368→368。
N568→Marseille - Martigues間はD568。 Martigues以西 (事実上A55の延長部) はN568のまま。
N569→N569のまま。
N1569→N1569のまま。
N570→D570n。
N572→事実上A54の一部となっているArlesからA54接続 (分岐) 点までの区間はN572のまま。その他の区間はD572n。

以上のように、 Bouches-du-Rhône県内では三つのパターンがあった事が分かります。国道のままの路線。 NをDに代えただけの路線。NをDに代え、数字の後にnを加えた路線。 (尚お尻に付くNはここでは小文字で表しており、そのようになっている地図もありますが、地図によっては大文字のものもあります。ミシュランの地図では大文字です。道路沿いに立っている表示板では、形は大文字ですが、小さく書いてあります)
格下げが行われなかった路線にも二通りあり、事実上高速の一部となっている路線と、一般の路線とがあります。前者についてはよく理解できますが、後者は、なぜその道だけが格下げにならなかったのか、今の所理由が分かりません。それらの道もやがては格下げされるのではないかと思っています。
お尻にnを付けるか否かについては、おそらく、Dxという路線がすでにある場合はNx→Dxnとなり、それ以外はただDをNに代えただけで済ませたのだと想像できます。

(やたらと長くなったんで何回かに分けて書くことにしました。そのうち続きもUPします)
【と、書きましたが、結局続きを書く気力が無くなったんで、一旦公開したのを非公開にしたままほったらかしていました。今日たまたま読みなおして、しょうもない内容だとは思いますが、せっかく書いたのを非公開にしとくのがもったいない気がして、また公開することにしました。続きは多分書かないので尻切れとんぼな感じは否めませんが、ご了承頂けると幸いです。(2010/01/28)】
| 雑文 | 07:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
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