2009/04/04の記録:Cucuron
今日の地図
この前行きそびれたCucuron [キュキュロン] に行く。
道はあえて普通に行くことにしたが、そのせいでAix [エクス] のRue de la République [レピュブリーク通り] が渋滞してるのに巻き込まれえらい目にあった。
D7n; D543, Rogne; D943; Cadenet, D45; D56, Vaugine.
D45までは普通に、その先Vaugines [ヴォージーヌ] に寄って行くことにして、少し遠回り。
(Vaugines手前のD45)
1638 Vaugines着。ちょうど40km。
前に来た時に戦没者記念碑を見つけられなかったので、それを念頭に置きながら散策。
村の中にはやっぱり見当たらず、村外れに墓地が見えたのでそちらを目指す。
前にも見た村外れの小さな教会の脇にも小さな墓地があるが、そこからやや離れて大きな墓地があった。
一見して記念碑はなさそうに見えたが、墓地のすみに三色旗がたなびいているのに気づき、よく見てみると、墓地の塀に添えるように戦没者記念プレートを収めたガラスの扉付のケースが立てられていた。
Vauginesはきれいな村で、裕福そうな観光客が多数散策していて、やっぱりLuberon [リュベロン] には金が落ちてるなあと思わされた。
1655 Vauginesを後にしてCucuronに移動。
Vaugines, D56, Cucuron.
17時着。すぐ近くなのでヘーこいてる暇も無い。
こんな街なのに駐車場がいっぱいで、道沿いにもスペースが見つからない。他所から人がいっぱい来てるってことだろう。なんとか車をとめて散歩。
ずっと前、確か車を買って最初のドライブできたときは、ちょっと埃っぽいイメージだったが、今日は手入れもそれなりに行き届いた、きれいに装われた街という印象。
(役場)
(この自転車少年、直後にお母ちゃんに危険走行を怒られる)
Office de Tourismeの地図を見て、とりあえず教会の方へ。教会の後ろが高台になってるので、そこから街を一望してみる。まあ、一望と言う程でもなかった。
教会へ。英語を喋る家族連れとフランス語の家族連れが見物してた。
(これ、教会入ってすぐの左側の壁にあるんだけど、女の子に説明してたフランス語のおばさんによると、とってもとっても古いものらしい)
教会を出て、さっき通り過ぎたミュゼが無料の様だから入ってみる。日本では郷土資料館と呼ばれる感じのもの。この辺の古代の遺物から、中世を通って19世紀くらいの話まで、なかなか時間的には壮大な展示。
(仕事柄19世紀 (20世紀前半だったかも) の教室の様子や教科書の展示なんかが気になった)
さっきのフランス語の家族連れが入って来て、おじさんおばさんが子供に解説しだしたのでそれを横から聞いてみた。なかなか物識りだ。おじさんは鉄器の説明とかするが女の子は無関心。おばさんはエメラルドだったか、宝石の解説をしだし、こっちには食いついてた。
ミュゼの後、腹が減ったのでパン屋に入ってラルドンのキッシュを買って食った。うまかった。いくらだったか忘れた。
最初に来たときの記憶だと確か細長い街の両端に見晴らしのきく高台があった筈なので、もう片方の方に行ってみる。こっちはちゃんと一望できた。
だいたい街は歩き尽くした感じだが、さっきも書いたけど、街並にちゃんと手が入ってるなあという印象。裏に回ると行き届かない部分もあるにはあるけど、表通りはきれいになってる。東プロヴァンスの方の村や街の雰囲気とはどこか違う。やっぱりこの辺にはお金が落ちてるんだろうな、とまた感じた。
観光客の誘致に成功してるっていうのもあるだろうけど、パリやロンドンやニューヨークなんかでガッポリ稼いだ人たちがプロヴァンスに別荘を買ったり、早めにリタイアして住み着いたり、という話はよく聞く。昔通った語学学校の先生も、 LuberonはProvenceというよりパリの人たちの土地だ、と言っていたし。実際ぴりっとしたシャツを着て今風のサングラスをかけ、北の方のナンバーの高級車に乗ったおじさんに道を聞かれた。普通の観光客よりもむしろそういう人たちのお金で、この辺の街や村がきれいになってるんじゃないか。
東プロヴァンス内陸部の方は、そういう人たちの手が、まだ伸びていないのだろう。確かに魅力的ではあるんだけど、もっと埃っぽく薄汚れて、どこか寂しげで、疲弊と倦怠と言うか、沈滞した空気に包まれているように思う。田舎の素朴な村というのは、多分そっちなのだろう。
Luberonはおそらく素朴ではない。ここにあるのは素朴を装うスノビズムなのではないか。
そして、僕がより強く魅力を感じるのは、残念ながらLuberonの方だ。
そう考えるとなんか嫌になっちゃった。考え過ぎかもしれないけどさ。
(よく分からないかもしれないけど奥の建物なんかは最近改修工事をしたっぽく壁がきれい。家の前の植木も手入れが行き届いてる)
(確かこの池のある広場沿いに、ムニュで100ユーロ以上する様なレストランがあった筈。ただし最初に来たときの記憶で、今回は確認せず)
で、街中には戦没者記念碑が見つからなかったので墓地を探す。街の郊外をちょっと探して歩き、たまたま見つかった地図を見て街の東に墓地を見つける。
(なんで唯一の写真にゴミ箱を入れちゃうかね)
せっかく苦労して墓地まで来たのに記念碑は墓地の中にも無かった。と言って街中を更に探し歩く気力は無かったので、帰途に就く。
喉が渇いたので出発前にちょうど車をとめたとこのそばにあったSPARでコーラを買って飲む。 1€。
1805発。
帰りもAnsouis [アンスイ]、 Pertuis [ペルテュイ]、 Venelles [ヴネール] 経由で普通に。
Cucuron, D56, Ansouis.
Ansouis手前で墓地を見つけたので中を見てみるが戦没者記念碑は見つからず。
気をつけながら村の下の道を走っていると、交差点脇の広場に記念碑が見つかったので撮影。
Ansouis, D56, Pertuis.
Pertuisでは未だに良く頭に入ってない中心部の道の走り方を確認しようと西の橋のところから入ってみたが、一通がいっぱいあってやっぱりよく分からなかった。でもそのお陰で前に見つけられなかった戦没者記念碑が見つかった。駅の方から街の南の端の道を西へ行く道沿いに広場 (公園) ができてて、そこにあった。写真機のバッテリーがぎりぎりだったがなんとか撮れた。
Pertuis, D956; D556; D96, Venelles, les Platanes; Aix外周; A51; D9, Carrefour (les Milles).
外周から真っすぐカジノの方まで行って左折、南に抜けて高速経由でCarrefourまで。
1915 Carrefour着。買い物。
2005帰宅。
全部で89km程。
(2009/05/01/23:43)
この前行きそびれたCucuron [キュキュロン] に行く。
道はあえて普通に行くことにしたが、そのせいでAix [エクス] のRue de la République [レピュブリーク通り] が渋滞してるのに巻き込まれえらい目にあった。
D7n; D543, Rogne; D943; Cadenet, D45; D56, Vaugine.
D45までは普通に、その先Vaugines [ヴォージーヌ] に寄って行くことにして、少し遠回り。
(Vaugines手前のD45)
1638 Vaugines着。ちょうど40km。
前に来た時に戦没者記念碑を見つけられなかったので、それを念頭に置きながら散策。
村の中にはやっぱり見当たらず、村外れに墓地が見えたのでそちらを目指す。
前にも見た村外れの小さな教会の脇にも小さな墓地があるが、そこからやや離れて大きな墓地があった。
一見して記念碑はなさそうに見えたが、墓地のすみに三色旗がたなびいているのに気づき、よく見てみると、墓地の塀に添えるように戦没者記念プレートを収めたガラスの扉付のケースが立てられていた。
Vauginesはきれいな村で、裕福そうな観光客が多数散策していて、やっぱりLuberon [リュベロン] には金が落ちてるなあと思わされた。
1655 Vauginesを後にしてCucuronに移動。
Vaugines, D56, Cucuron.
17時着。すぐ近くなのでヘーこいてる暇も無い。
こんな街なのに駐車場がいっぱいで、道沿いにもスペースが見つからない。他所から人がいっぱい来てるってことだろう。なんとか車をとめて散歩。
ずっと前、確か車を買って最初のドライブできたときは、ちょっと埃っぽいイメージだったが、今日は手入れもそれなりに行き届いた、きれいに装われた街という印象。
(役場)
(この自転車少年、直後にお母ちゃんに危険走行を怒られる)
Office de Tourismeの地図を見て、とりあえず教会の方へ。教会の後ろが高台になってるので、そこから街を一望してみる。まあ、一望と言う程でもなかった。
教会へ。英語を喋る家族連れとフランス語の家族連れが見物してた。
(これ、教会入ってすぐの左側の壁にあるんだけど、女の子に説明してたフランス語のおばさんによると、とってもとっても古いものらしい)
教会を出て、さっき通り過ぎたミュゼが無料の様だから入ってみる。日本では郷土資料館と呼ばれる感じのもの。この辺の古代の遺物から、中世を通って19世紀くらいの話まで、なかなか時間的には壮大な展示。
(仕事柄19世紀 (20世紀前半だったかも) の教室の様子や教科書の展示なんかが気になった)
さっきのフランス語の家族連れが入って来て、おじさんおばさんが子供に解説しだしたのでそれを横から聞いてみた。なかなか物識りだ。おじさんは鉄器の説明とかするが女の子は無関心。おばさんはエメラルドだったか、宝石の解説をしだし、こっちには食いついてた。
ミュゼの後、腹が減ったのでパン屋に入ってラルドンのキッシュを買って食った。うまかった。いくらだったか忘れた。
最初に来たときの記憶だと確か細長い街の両端に見晴らしのきく高台があった筈なので、もう片方の方に行ってみる。こっちはちゃんと一望できた。
だいたい街は歩き尽くした感じだが、さっきも書いたけど、街並にちゃんと手が入ってるなあという印象。裏に回ると行き届かない部分もあるにはあるけど、表通りはきれいになってる。東プロヴァンスの方の村や街の雰囲気とはどこか違う。やっぱりこの辺にはお金が落ちてるんだろうな、とまた感じた。
観光客の誘致に成功してるっていうのもあるだろうけど、パリやロンドンやニューヨークなんかでガッポリ稼いだ人たちがプロヴァンスに別荘を買ったり、早めにリタイアして住み着いたり、という話はよく聞く。昔通った語学学校の先生も、 LuberonはProvenceというよりパリの人たちの土地だ、と言っていたし。実際ぴりっとしたシャツを着て今風のサングラスをかけ、北の方のナンバーの高級車に乗ったおじさんに道を聞かれた。普通の観光客よりもむしろそういう人たちのお金で、この辺の街や村がきれいになってるんじゃないか。
東プロヴァンス内陸部の方は、そういう人たちの手が、まだ伸びていないのだろう。確かに魅力的ではあるんだけど、もっと埃っぽく薄汚れて、どこか寂しげで、疲弊と倦怠と言うか、沈滞した空気に包まれているように思う。田舎の素朴な村というのは、多分そっちなのだろう。
Luberonはおそらく素朴ではない。ここにあるのは素朴を装うスノビズムなのではないか。
そして、僕がより強く魅力を感じるのは、残念ながらLuberonの方だ。
そう考えるとなんか嫌になっちゃった。考え過ぎかもしれないけどさ。
(よく分からないかもしれないけど奥の建物なんかは最近改修工事をしたっぽく壁がきれい。家の前の植木も手入れが行き届いてる)
(確かこの池のある広場沿いに、ムニュで100ユーロ以上する様なレストランがあった筈。ただし最初に来たときの記憶で、今回は確認せず)
で、街中には戦没者記念碑が見つからなかったので墓地を探す。街の郊外をちょっと探して歩き、たまたま見つかった地図を見て街の東に墓地を見つける。
(なんで唯一の写真にゴミ箱を入れちゃうかね)
せっかく苦労して墓地まで来たのに記念碑は墓地の中にも無かった。と言って街中を更に探し歩く気力は無かったので、帰途に就く。
喉が渇いたので出発前にちょうど車をとめたとこのそばにあったSPARでコーラを買って飲む。 1€。
1805発。
帰りもAnsouis [アンスイ]、 Pertuis [ペルテュイ]、 Venelles [ヴネール] 経由で普通に。
Cucuron, D56, Ansouis.
Ansouis手前で墓地を見つけたので中を見てみるが戦没者記念碑は見つからず。
気をつけながら村の下の道を走っていると、交差点脇の広場に記念碑が見つかったので撮影。
Ansouis, D56, Pertuis.
Pertuisでは未だに良く頭に入ってない中心部の道の走り方を確認しようと西の橋のところから入ってみたが、一通がいっぱいあってやっぱりよく分からなかった。でもそのお陰で前に見つけられなかった戦没者記念碑が見つかった。駅の方から街の南の端の道を西へ行く道沿いに広場 (公園) ができてて、そこにあった。写真機のバッテリーがぎりぎりだったがなんとか撮れた。
Pertuis, D956; D556; D96, Venelles, les Platanes; Aix外周; A51; D9, Carrefour (les Milles).
外周から真っすぐカジノの方まで行って左折、南に抜けて高速経由でCarrefourまで。
1915 Carrefour着。買い物。
2005帰宅。
全部で89km程。
(2009/05/01/23:43)