ciguwerao

<< 前の記事 | main | 次の記事 >>

2014/09/30のことば

Tout mon livre est là pour rappeler que l'accès à l'œuvre d'art requiert des instruments qui ne sont pas universellement distribués. Et par conséquent que les détenteurs de ces instruments s'assurent des profits de distinction, profits d'autant plus grands que ces instruments sont plus rares (comme ceux qui sont nécessaires pour s'approprier les œuvres d'avant-garde).

—Pierre Bourdieu, « L'art de résister aux paroles ». (Entretien avec Didier Eribon.)

長くなるので肝の部分だけあげたが、前段を押さえておかないと意味合いがうまく伝わらないかと思う。

Q. Si toute pratique culturelle est une misa à distance (【括弧内省略】), l'idée d'un art pour tous, d'un accès pour tous à l'art n'a pas de sens. Cette illusion d'un « communisme culturel », il faut la dénoncer.

— J'ai moi-même participé de l'illusion du « communisme culturel » (ou linguistique). Les intellectuels pensent spontanément le rapport à l'œuvre d'art comme une participation mystique à un bien commun, sans rareté. Tout mon livre...

というのが前段。 « Q. » と始まっている段落は質問者のディディエ・エリボンという人のことばで、

文化的営みはすべて距離を置く【=差異をたてる】事であるとするなら、すべての人のための芸術、とか、すべての人に芸術へのアクセスを、というアイデアは意味を持たないことになりますね。そのような「文化コミュニスム」の幻想こそ批判されるべき、ということでしょうか?

というような意味。

« communisme culturel » は訳しにくい。「文化的共産主義」は誤訳な気がする。「産」の字が要らないように思う。文化を共にする、全員で所有する、という意味で、苦しいが「共文化主義」、あるいはストレートに「共有文化主義」とでもした方がまだいいように思う。

ブルデューはこれに答えてまず、

私自身が「文化(あるいは言語)コミュニスム」の幻想に影響されたのです。

と言っているのだが、これは自省であると同時に、 « communisme culturel » を全否定できないという意識の現れかと思っている。エリボンの選んだ « dénoncer » という強いことば(通常「告発」と訳される)に多少の抵抗を感じているような。
ただ、僕の語学力だと « participer de » という言葉が意味をとりにくい。辞書を引くと「〜の性質を帯びる」、「似ている」などと書かれているのだが、ここではそのままでは通らないし、 « participer à » との関係がよくつかめない。こちらの意味合いが残るのなら、「影響された」という一方的な受け身ではなく「影響を受け、かつ、与える」という意味で「幻想に加わっていた」とか、「参与した」といった感じかもしれない。あるいは「幻想の中にいた」、「とらわれていた」か。

そのあとは、

「知識人は自然な感覚として芸術作品と自分との関わりを万人が共有する善への神秘的参画と捉えます。そこに希少性があるとは考えません。私が本でいいたかったのはまさにその点で、芸術作品に触れるためには、すべての人が持つわけではない道具が必要なのだということを思いおこしてもらいたかったのです。そしてその結果として、その道具を保有している者は差異の恩恵に浴することができるのだ、ということを。道具が希少であればあるほど、その恩恵は大きくなります(前衛作品を我がものとするのに必要な道具のように)。

といった感じの内容。正確性は保証しない。

この本、3、4年前に池袋の本屋で立ち読みをして、結構読めるじゃん、と思って買ったのだが、いざ腰を落ち着かせて(といっても帰りの電車でだが)読んでみたらやっぱり読めなくて、そのままほったくってあったのを、今日ふと思い立って読んでみた。

ひと段落まるまるわからないところなどもあるが、辞書を引きながらゆっくり読めば、まあまあわかった。ブルデューがだいたいどんなことを言った人かわかってるから、というのもあるだろう。

前々からブルデューは大事だよなあ、と思っていたんだけど、フランス語が読めないくせに、翻訳で読むのは悔しいなあ、というのがあって読まずにいるのだが、少しずつでも読んでいければと思う。

とはいえ、今日なんとかわかったところって、多分本屋でわかる気がしたところで、先に読み進めるとまたわからなくなるんだろうなあ、とは思う。

| ことば | 03:08 | comments(0) | trackbacks(0) |

スポンサーサイト

| - | 03:08 | - | - |
コメント
コメントする








この記事のトラックバックURL
http://ciguwerao.jugem.jp/trackback/339
トラックバック
ciguwerao
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>
LATEST ENTRIES
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
SPONSORED LINKS
qrcode