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2017/07/15のことば

宿昔青雲志 蹉跎白髪年

—張九齢「照鏡見白髪」

もう新しいニュースというわけではないようだが、僕は昨日知った。

日清食品が「黒歴史トリオ」、「意地の再発売」と銘打って、かつて限定発売してみたものの売れ行きの悪かった三種類のカップ麺を、この夏再発売してみる企画をやっているらしい。

その内二つについては、売れなかった商品だけあって全く見た記憶のない、知らない商品なのだが、一つについては、見覚えがある。

見覚えがあるどころか、非常に馴染みのある、僕の日常生活の中に当たり前のように溶け込んだデザインであるように、そのニュースを瞥見して感ぜられた。

まさかと思って自宅に帰って確認してみると、実際そうだった。

この、わずか二ヶ月しか販売されなかったらしいサマーヌードルというやつ、食った。

そして今、手元にそのカップがある。

(一枚撮って写りが悪かったので撮り直したのだが、その撮り損ないが後ろのモニタに映ってる。気づかなかった。かっこ悪いのでさらに取り直そうかと思ったが、面倒なのでやめた)

味の方は当然覚えちゃいないが、カップヌードルを食ってまずいと思った記憶はないので、まあうまかったんだと思う。

これが発売されたのは1995年夏、ということで、当時はまだ、スマートフォンなどこの世にないのはもちろん、デジカメも携帯電話も、周りに持ってる人はほとんどいなかったし、パソコンすら持っているのは少数派だった。

だから当時の情報記録デバイスの中心は圧倒的に紙とペンだった。

ところで当時、僕は新しい土地での生活を始めて間もない時期で、スーツケースひとつでその土地に乗り込んだので家財道具というものはない。

備え付けの冷蔵庫とベッドと椅子机のほかは、引っ越しの当日買ったテレビデオくらいしか部屋になかったと思う。

ペン立てもない。

ペンや鉛筆を机の上に転がしとくのも冴えない、と、思ったところで、ちょうどこの前食ってまだ捨ててないカップヌードルのカップがあることに気づいた。

それでそれを丁寧に洗って、間に合わせのペン立てがわりに使ったわけである。

と思われる。

それから幾星霜が過ぎ、その間に住処も何遍も変わっているにもかかわらず、僕の自宅の机の上でそのカップが、未だ現役のペン立てとして活躍しているのである。

ちなみに言うと上の写真に写ってるキャップのはまった鉛筆は、大学受験の際に大学最寄りの駅前だったか大学の門のところだったかで予備校が配ってたもの。これを三、四本もらえたおかげで試験場で筆箱を出さずに済んでよかったよかった、と、喜んだ記憶がある。試験は受かったんだったか落ちたんだったか忘れたが、いずれにしてもその大学とは縁がなかった。

それはサマーヌードルを食う前のことだから、おそらく、この鉛筆はサマーヌードルの中に放り込まれた第一期生で、それからずっと、挿さり続けているのである。

22年。

生まれた子供が内定をもらってる。

我ながら、物持ちの良さと相変わらずの貧乏臭さに呆れるほかない。

もういい加減捨てよう。

全詩をあげておく。

宿昔青雲志 蹉跎白髪年
誰知明鏡裏 形影自相憐

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