2007/07/15の記録:Tour de France下見 (D4, Vinon-sur-Verdon et St-Paul-lez-Durance)
前日、このふた月程取り組んでた仕事が終わった。その仕事のせいで、最近ほとんどドライブできずにいた訳だが、これが終わった暁には、ドライブしまくってやろうと思っていた。
とりあえず、 18、 19のツールドフランスは見に行くつもりでいたが、仕事の終わりが見え始めた頃に、早く終わったらコースの下見をしてやろうと思いついた。行った以上はここに記事を書こう、それも、ツールのコースの路面の状況や注目ポイントなんかを詳細に書いてやって、「Tour de France 2007 第10ステージ、見所はここだ!万国の自転車野郎よ、刮目せよ!!」ってな具合の超ハイテンションな文体で書いてやろうという事まで思いついた。
と言って、なかなか仕事が終わらないもんだから、下見ができるのはどうもツールの直前になりそうな感じだった。直前になっちゃったら、せっかくの先乗りリポートも、あんまり意味ないじゃんとも思った。
それでその思いつきはしばらく忘れていたんだけど、この金曜に、土曜に仕事を終わらせれば日曜に下見に行けるという事に気づいてしまった。早く仕事を終わらせるにこした事ないから、頑張る動機づけとして、日曜下見を決定した上で、土曜にラストスパートをかける事にした。
で、ラストスパートなんて大げさな言葉を使わなくてもいいくらいにあっさりと、土曜の夕方には仕事が終わった。終わったんだから、そりゃあ気分は良かったよ。行く事に決めた翌日の下見のために早く寝ようと思った。
でも、ここんとこずっと徹夜で仕事してたんで、人並みの時間には眠れない。眠れない眠れないと思っているうちに、仕事が終わったんだから、飲むのが本筋だという事に気づいた。飲めば眠くもなるだろうし、ちょうどいいと思った。
生憎ビールがなかったので、ウイスキーにしようかと思ったが、去年友人に買って来てもらった芋焼酎を全然飲んでない事に気づいて、芋焼酎を、僕としては結構な量コップに注いで、お湯を沸かすの面倒だったんで、水で割って飲んだ。結構一気に飲んだ。
飲んでるそばから嫌な気配はあった。何か頭が痛い様な気がした。でも、飲んだ瞬間に痛くなるはずもないだろうと思って、ぐびぐび飲んだ。それで、良い気分になった事にして、布団をかぶった。
完全に頭が痛くなった。酒のせいで痛くなったのか、酒がいつもの偏頭痛を呼び出すきっかけになっちゃったのか、それとも酒とは無関係に偏頭痛が出たのか知らないが、とりあえず嫌んなっちゃうくらい痛くなった。もうやってられんよ。こんな痛みが一生続くなら、いっそ死んでしまいたいと思った。ついでに吐き気までしてきた。腹も痛くなった。寝てらんないので、しばらくトイレに籠ったりもした。頭痛は収まらないものの、吐き気が収まったので、布団に戻って、酒を飲んでしまった事の後悔と堪え難い頭痛 (目の後ろ辺りが痛い) に苛まれながら、数時間を過ごした。夢にまで見た仕事完了の喜びも、もうすっかりどっかに行ってしまった。
で、目が覚めた。 10時位に。
頭はまだ痛い。仕事が終わった事実は消えないのに、一度失われた喜びは帰ってこない。最悪の気分。でも、一度決めた計画、ツールドフランス先乗りリポートの計画が、頭から離れる事はなかった。はっきり言って行きたくなかったよ。ずっと寝てたかった。馬鹿な事思いついたもんだと、自分を恨めしくも思った。
でも一度決めた事だからなあ。月火は用事もあるし、今日を逃したら下見は出来ない (水曜が第10ステージ本番)。かなり悩んだが、 13時を回って出掛ける決心がついた。
超ハイテンションの記事を書くはずなのに、超ローテンションで、 1315、ほとんど義務感だけを頼りに、出発。
(ほんとは、出発地のTallard [タラール] まで行くのは無理だとしても、まあManosque [マノスク] くらいまで行って、そっから先はちゃんとゴールのMarseille [マルセイユ] まできっちり走るつもりだったんだけど、何かそこまでやれる気はしなかった。最悪St-Maximin [サン=マクシマン] くらいまで行って、そこで嫌になったら帰って来ちゃおう、でも、走ってるうちにテンションが上がって、 Marseilleまで行けるかもしれないよね、なんて事を思いながら出発した)
ルートは、行きはあえてツールのコースを避けて、 D96、 N96でManosqueまで行って、そっからコースのD4に入る事にした。
D96; D63c; D63b; Chemin du Garaguay (ミシュランの地図に載ってない、線路の下をくぐる道。 2006/04/30の記録参照); D13a; D96.
(D63c。この道はミシュランお勧めなんだけど、いかにもって感じ)
(Chemin du Garaguay)
Venelles [ヴネール?] 辺で、何度も走ってるN96をやめて、 Pertuis [ペルテュイ] 経由でD973で行く事を思いつく。ついでにPertuisの街に寄って、戦没者記念碑の写真も撮ってやる事にする。
D96; D556; D956, Pertuis.
14:10 Pertuis着。 Place Garcinに駐車。街を散歩。
市庁舎と教会。
記念碑を探して街中を、市庁舎前、教会前、広場などめぼしい場所を中心に歩き回るが、見つからない。この季節は当たり前だが、日差しが強いので、結構しんどい。だいたい見て回ったが見つからないので、墓地にでもあるんだろうと思って、車に戻る。 (1425)
記念碑は墓地にあるだろうと思ったものの、今日は他の目的があるんで、必ずしもなんとしても見つけたろうと思っていたわけではないが、一応辺りに注意しながらMirabeau [ミラボー] の方を目指して走っていると、左側に墓地を発見。せっかくなので寄る。
かなり日差しがきつい。入るとすぐにモニュモンがあったが、戦没者を記念するものではなかった。 Pertuisは大きな街だけあって、墓地もかなり広い。歩き回ってみるが、モニュモンが見つからなかったが、隅っこの方に一応戦没者記念碑の常套句 « VILLE DE PERTUIS MORTS POUR LA FRANCE » と書かれた一画を見つける。ただ、壁にそうかかれているだけで、特にモニュモンと呼べるものがあるわけではない。 1914-1918 などとすら書かれておらず、いつのものだかも分からない。どうも別の場所にちゃんとしたモニュモンがありそうに思われる。ただ、墓地の中には見つけられなかったし、街の主要な場所にもなかった。どこかにはあるのだろうが、探すのは大変そうだ。喉がやたらと渇き、用意した水も既に半分飲んでしまったので、今日の所はあきらめて、車に戻り先を急ぐ。 (1440)
(墓地の様子)
Pertuis, D973, Mirabeau.
(D973。 Vaucluseらしく幹線なのに路面はざらざら。いい感じ)
Mirabeauが見えた所で、寄ろうかどうするか迷う。何度も言う様に今日の目的はツールドフランスの下見なので、あんま寄り道してばかりもいられないと思って、 Mirabeauの村の中に入る最初の道は曲がらず通り過ぎたが、最後の最後でやっぱ寄っておこうという気になって (Pertuisが期待に反して空振りに終わったこともあって)、ちょっと引き返す様な感じで村に入って行く最後の道を右折。
村の中を何となく走ってみたら、運良く教会前に記念碑を発見。こういう分かりいい所にあってくれるとありがたい。 (1450)
(左下に見えるのが戦没者記念碑)
(村の様子)
Mirabeauは記念碑が見つかったのでこれでよしとして、先を急ぐ。 (1455)
とりあえず行き先はManosqueでN96からD907に入って、 Duranceを渡った対岸のD4 (ツールドフランスはこのD4を通る) との交差点。
Mirabeau, D973; N96; Manosque, D907, D4との交差点.
1520 交差点到着。
(交差点の様子。選手は手前から奥の方へ通過して行く。当日は、ここはManosqueから一番近い通過点なので、 Manosque市民でこの交差点も混雑する (した) はず。右がD907でManosque方面、左がこの前ラヴェンダーを見に行ったValensole [ヴァランソール] に続くD6)
去年ひまわりを見たD15との交差点 (D15はすぐにD115と分岐する。去年はD15をValensoleの方から降りてきて、 D4の方には出ずに、 D115を行った) は、ここより南にあると思い込んでいたので、ここからVinon-sur-Verdon [ヴィノン=シュル=ヴェルドン] の方に南下するつもりでいたが、地図で確認するとD15との交差点は結構北にあるあることが分かった。どうしようかと思ったが、ひまわりの様子を見たかったので、いっぺんその交差点まで北に行って引き返してくることにする。
D4, Asse川の谷・D15との交差点.
去年春にDigne-les-Bains [ディーニュ=レ=バン] に行った時このD4を通っていて、いい道だったという記憶はあったが、記憶以上にいい。かなりいい。路面はざらざらでうねりもあり、センターラインどころか、路肩を区切る線も引いてない。その上、基本的に盆地の端を走る道だが、時々丘を越えるので山道としても楽しめる。良い道の要素をほぼ満たしている。道幅が広いのが難点と言えば難点だが、交通量の多い準幹線と言っていい道だから仕方ない。充分に広いお陰で交通量の割に対向車を気にしないで走れるのでリラックスしていられる。来て良かったと思った。あのまま南に下がってしまわないで良かった。かなり感動してテンションが上がってきたせいで、これこそ「ラ・ストラーダ」と呼ぶにふさわしいなんぞと感じた (残念ながら「ル・シュマン」じゃなんかしっくりこない。プロヴァンス語ならなんて言うんだろう)。
(ラ・ストラーダ)
1535 D15との交差点のあるAsse川の谷に到着。去年のひまわり畑はすっかり刈られて何にもなかったので、最初気づかず (ひまわりがしおれている状態を想像してた) 通り過ぎかけた。
(これが去年ひまわり畑だったとこ。この谷がAsse川の谷、端に写ってる道がD15ですぐにD115と分岐する。谷沿いを行くのはD115でD15は右の山を登って、越えた先の盆地にあるValensoleに出る)
(分岐点。左がD115右がD15。両方なかなかの道だが、D115はほんとに狭くてすれ違いも難しいくらい。かなり高評価)
D15から交差点の方を見ると、ツールドフランスが通ることを示す看板。
(ツールドフランス 7月18日 かなり待たされるかも)
(交差点を北から。選手達は手前から奥へ向けて走る)
ひまわり畑の様子も見たことだし、引き返す。 (1540)
D15交差点, D4; D554, Vinon-sur-Verdon.
(D4。見て分かるかと思うけど、結構でこぼこの道で、所々穴があったりもする。選手達がこの三日後に通り過ぎるわけだけど、大変だろうなあと思った。車で走っててもそれなりに揺れるくらいなんだけど、自転車だと、あまりサスペンションとか効かないだろうし、尻が痛くなるだろうね。三枚目の写真、結構いい写真だと思うんだけど、横着して車の中から撮ったから、右下にボンネットが入っちゃった。残念だ)
(せっかくのD4もさっきのManosqueから来るD907との交差点以南では、こういうつまらん道になる。県境を越えると番号が変ってD554)
1605 Vinon着。
Vinonではこんな感じでちょっとお祭りっぽくなってた。子供連れの人がそれなりにいた。
この街はVerdon川の両岸に広がる街。左岸が旧市街っぽい。
(上流側。このままさかのぼって行くと、去年の年末に行ったGorges du Verdon [ゴルジュ・デュ・ヴェルドン=ヴェルドン渓谷])
(下流側。ちょうど橋の下が堰になってるみたい。岩で区切られた右側は前に来たときはカヌー競技のコースが造られてて、ちょうど試合をやってるみたいだった。カヌーのシーズンはいつなんだろう。前来たのがいつだったか忘れた。とりあえずこの日は何もやってなかった。こういう暑い日にやれば気持ち良さそうだけど)
(下からVinonの街を見上げる。ほんとは戦没者記念碑を探しに行きたかったけど、やたら暑くてばててしまっていたので、街の中には入らなかった)
(Vinonの南の町外れにあるロンポワン。普通にここからMarseille方面に行くときは左奥の方に行くんだけど、選手達は左手前から来て右奥に抜けて行く。そのせいで、左奥に行った先にある僕のお気に入りのGinasservis [ジナセルヴィ] の街は通過してもらえない)
D4でテンションが上がったはずだったのに、 Vinonの街を歩いてるうちにすっかりテンション下がってしまった。なんせ暑い、というか日差しが熱い。くたびれて暗い気持ちになって車に戻る。 (1630)
Vinon, D952, Cadarache.
16:40 Cadarache [カダラシュ] 通過。 Cadaracheって言うのは日本の六ヶ所村みたいな感じで、原子力関係のいろいろがある所。 ITERがここに誘致された。そういうわけでこんな感じで物々しい雰囲気になってる。車線の色も黄色になってるし。
(車線が黄色い理由はなんか書いてあった気がするけど、読まなかった)
(Cadaracheの二つある入口。二枚目の方がメインかな。この前をツールの選手達が通るわけだけど、なんでVinonから普通にGinasservisの方に行かないでこっちに来るのか分からなかったのが、ここに来て分かった気がした。この前を通らせたかったんだねきっと。 Cadaracheを世界に宣伝するために)
Cadarache, D952, St-Paul-lez-Durance.
(St-Paul-lès-Durance [サン=ポール=レ=デュランス] の街の横にはこんな感じの運河が流れてる。選手たちの通るD952は、街から見て運河を挟んだ対岸にあたる。つまり街の中は通らない。 D952は写真右側、街は左)
(写真の左側から来る選手たちは、橋のたもとの交差点で左折し、写真奥にあたるD11に入って行く。下の拡大した方で分かると思うけど、結構狭い交差点を90度曲がって行く。今回のコースの中では結構な難所だと思う)
ツールは通らないけど、一応St-Paulの街を歩いてみた。街中はこんな感じ。自分に元気が無いせいではあると思うけど、何となく倦怠感が漂ってた。
(役場)
St-Paul, D11; D3, Rians郊外.
(Bouches-du-Rhône県からVar県に入り、道の名前がD11からD3に変わる。いい加減しつこいと思われるかもしれないけど、舗装も変わる。もちろんきれいな方がVar)
(Rians [リアン] 北のD23との合流。選手たちは左から来て手前に抜ける。奥から来て手前に走るまっすぐな道に左から合流してくる様に見えるけど、書類上は左から来て手前に抜けるD3 (つまり選手たちが通る道) に奥から来るD23が合流ということになってる。 D23はさっき名前の挙がったGinasservisから来る道で、 Vinonから素直にMarseilleを目指せばこっちを通ることになる)
(選手たちも通るRians郊外のロンポワンから見えるRiansの街。教会がシンボル。選手たちは手前から来て右に行く)
Rians郊外, D3, Ollières.
(Rians - Ollières [オリエール] 間のD3。まっすぐで幅の広い走りやすい道だが、 St-Maximinまでの間に丘があるので、結構登って行く。 Ollièresは丘の向こう側の麓)
Ollièresで道沿いに戦没者記念碑を見付けたので撮影。
ついでにペタンクおじさんたちも撮影。
Ollières, D3; St-Maximin郊外, DN7, Pourcieux; D7n, Les Bannettes, Châteauneuf-le-Rouge, Aix南のマクドナルド.
やっぱりMarseilleまで行くのはしんどくなったので、St-Maximinからツールのコースからは離れてDN7で帰途に就くことにした。 St-Maximin郊外の交差点でマクドナルドを見て、どうしても食いたくなったので、 Aix [エクス] 南のマクドナルドでチーズバーガー、ポテトS、ストロベリーシェイクを食ってから、 1900帰宅。
190km程。
(一応去年のこれも参照)
(2007/07/20/06:44:08)
とりあえず、 18、 19のツールドフランスは見に行くつもりでいたが、仕事の終わりが見え始めた頃に、早く終わったらコースの下見をしてやろうと思いついた。行った以上はここに記事を書こう、それも、ツールのコースの路面の状況や注目ポイントなんかを詳細に書いてやって、「Tour de France 2007 第10ステージ、見所はここだ!万国の自転車野郎よ、刮目せよ!!」ってな具合の超ハイテンションな文体で書いてやろうという事まで思いついた。
と言って、なかなか仕事が終わらないもんだから、下見ができるのはどうもツールの直前になりそうな感じだった。直前になっちゃったら、せっかくの先乗りリポートも、あんまり意味ないじゃんとも思った。
それでその思いつきはしばらく忘れていたんだけど、この金曜に、土曜に仕事を終わらせれば日曜に下見に行けるという事に気づいてしまった。早く仕事を終わらせるにこした事ないから、頑張る動機づけとして、日曜下見を決定した上で、土曜にラストスパートをかける事にした。
で、ラストスパートなんて大げさな言葉を使わなくてもいいくらいにあっさりと、土曜の夕方には仕事が終わった。終わったんだから、そりゃあ気分は良かったよ。行く事に決めた翌日の下見のために早く寝ようと思った。
でも、ここんとこずっと徹夜で仕事してたんで、人並みの時間には眠れない。眠れない眠れないと思っているうちに、仕事が終わったんだから、飲むのが本筋だという事に気づいた。飲めば眠くもなるだろうし、ちょうどいいと思った。
生憎ビールがなかったので、ウイスキーにしようかと思ったが、去年友人に買って来てもらった芋焼酎を全然飲んでない事に気づいて、芋焼酎を、僕としては結構な量コップに注いで、お湯を沸かすの面倒だったんで、水で割って飲んだ。結構一気に飲んだ。
飲んでるそばから嫌な気配はあった。何か頭が痛い様な気がした。でも、飲んだ瞬間に痛くなるはずもないだろうと思って、ぐびぐび飲んだ。それで、良い気分になった事にして、布団をかぶった。
完全に頭が痛くなった。酒のせいで痛くなったのか、酒がいつもの偏頭痛を呼び出すきっかけになっちゃったのか、それとも酒とは無関係に偏頭痛が出たのか知らないが、とりあえず嫌んなっちゃうくらい痛くなった。もうやってられんよ。こんな痛みが一生続くなら、いっそ死んでしまいたいと思った。ついでに吐き気までしてきた。腹も痛くなった。寝てらんないので、しばらくトイレに籠ったりもした。頭痛は収まらないものの、吐き気が収まったので、布団に戻って、酒を飲んでしまった事の後悔と堪え難い頭痛 (目の後ろ辺りが痛い) に苛まれながら、数時間を過ごした。夢にまで見た仕事完了の喜びも、もうすっかりどっかに行ってしまった。
で、目が覚めた。 10時位に。
頭はまだ痛い。仕事が終わった事実は消えないのに、一度失われた喜びは帰ってこない。最悪の気分。でも、一度決めた計画、ツールドフランス先乗りリポートの計画が、頭から離れる事はなかった。はっきり言って行きたくなかったよ。ずっと寝てたかった。馬鹿な事思いついたもんだと、自分を恨めしくも思った。
でも一度決めた事だからなあ。月火は用事もあるし、今日を逃したら下見は出来ない (水曜が第10ステージ本番)。かなり悩んだが、 13時を回って出掛ける決心がついた。
超ハイテンションの記事を書くはずなのに、超ローテンションで、 1315、ほとんど義務感だけを頼りに、出発。
(ほんとは、出発地のTallard [タラール] まで行くのは無理だとしても、まあManosque [マノスク] くらいまで行って、そっから先はちゃんとゴールのMarseille [マルセイユ] まできっちり走るつもりだったんだけど、何かそこまでやれる気はしなかった。最悪St-Maximin [サン=マクシマン] くらいまで行って、そこで嫌になったら帰って来ちゃおう、でも、走ってるうちにテンションが上がって、 Marseilleまで行けるかもしれないよね、なんて事を思いながら出発した)
ルートは、行きはあえてツールのコースを避けて、 D96、 N96でManosqueまで行って、そっからコースのD4に入る事にした。
D96; D63c; D63b; Chemin du Garaguay (ミシュランの地図に載ってない、線路の下をくぐる道。 2006/04/30の記録参照); D13a; D96.
(D63c。この道はミシュランお勧めなんだけど、いかにもって感じ)
(Chemin du Garaguay)
Venelles [ヴネール?] 辺で、何度も走ってるN96をやめて、 Pertuis [ペルテュイ] 経由でD973で行く事を思いつく。ついでにPertuisの街に寄って、戦没者記念碑の写真も撮ってやる事にする。
D96; D556; D956, Pertuis.
14:10 Pertuis着。 Place Garcinに駐車。街を散歩。
市庁舎と教会。
記念碑を探して街中を、市庁舎前、教会前、広場などめぼしい場所を中心に歩き回るが、見つからない。この季節は当たり前だが、日差しが強いので、結構しんどい。だいたい見て回ったが見つからないので、墓地にでもあるんだろうと思って、車に戻る。 (1425)
記念碑は墓地にあるだろうと思ったものの、今日は他の目的があるんで、必ずしもなんとしても見つけたろうと思っていたわけではないが、一応辺りに注意しながらMirabeau [ミラボー] の方を目指して走っていると、左側に墓地を発見。せっかくなので寄る。
かなり日差しがきつい。入るとすぐにモニュモンがあったが、戦没者を記念するものではなかった。 Pertuisは大きな街だけあって、墓地もかなり広い。歩き回ってみるが、モニュモンが見つからなかったが、隅っこの方に一応戦没者記念碑の常套句 « VILLE DE PERTUIS MORTS POUR LA FRANCE » と書かれた一画を見つける。ただ、壁にそうかかれているだけで、特にモニュモンと呼べるものがあるわけではない。 1914-1918 などとすら書かれておらず、いつのものだかも分からない。どうも別の場所にちゃんとしたモニュモンがありそうに思われる。ただ、墓地の中には見つけられなかったし、街の主要な場所にもなかった。どこかにはあるのだろうが、探すのは大変そうだ。喉がやたらと渇き、用意した水も既に半分飲んでしまったので、今日の所はあきらめて、車に戻り先を急ぐ。 (1440)
(墓地の様子)
Pertuis, D973, Mirabeau.
(D973。 Vaucluseらしく幹線なのに路面はざらざら。いい感じ)
Mirabeauが見えた所で、寄ろうかどうするか迷う。何度も言う様に今日の目的はツールドフランスの下見なので、あんま寄り道してばかりもいられないと思って、 Mirabeauの村の中に入る最初の道は曲がらず通り過ぎたが、最後の最後でやっぱ寄っておこうという気になって (Pertuisが期待に反して空振りに終わったこともあって)、ちょっと引き返す様な感じで村に入って行く最後の道を右折。
村の中を何となく走ってみたら、運良く教会前に記念碑を発見。こういう分かりいい所にあってくれるとありがたい。 (1450)
(左下に見えるのが戦没者記念碑)
(村の様子)
Mirabeauは記念碑が見つかったのでこれでよしとして、先を急ぐ。 (1455)
とりあえず行き先はManosqueでN96からD907に入って、 Duranceを渡った対岸のD4 (ツールドフランスはこのD4を通る) との交差点。
Mirabeau, D973; N96; Manosque, D907, D4との交差点.
1520 交差点到着。
(交差点の様子。選手は手前から奥の方へ通過して行く。当日は、ここはManosqueから一番近い通過点なので、 Manosque市民でこの交差点も混雑する (した) はず。右がD907でManosque方面、左がこの前ラヴェンダーを見に行ったValensole [ヴァランソール] に続くD6)
去年ひまわりを見たD15との交差点 (D15はすぐにD115と分岐する。去年はD15をValensoleの方から降りてきて、 D4の方には出ずに、 D115を行った) は、ここより南にあると思い込んでいたので、ここからVinon-sur-Verdon [ヴィノン=シュル=ヴェルドン] の方に南下するつもりでいたが、地図で確認するとD15との交差点は結構北にあるあることが分かった。どうしようかと思ったが、ひまわりの様子を見たかったので、いっぺんその交差点まで北に行って引き返してくることにする。
D4, Asse川の谷・D15との交差点.
去年春にDigne-les-Bains [ディーニュ=レ=バン] に行った時このD4を通っていて、いい道だったという記憶はあったが、記憶以上にいい。かなりいい。路面はざらざらでうねりもあり、センターラインどころか、路肩を区切る線も引いてない。その上、基本的に盆地の端を走る道だが、時々丘を越えるので山道としても楽しめる。良い道の要素をほぼ満たしている。道幅が広いのが難点と言えば難点だが、交通量の多い準幹線と言っていい道だから仕方ない。充分に広いお陰で交通量の割に対向車を気にしないで走れるのでリラックスしていられる。来て良かったと思った。あのまま南に下がってしまわないで良かった。かなり感動してテンションが上がってきたせいで、これこそ「ラ・ストラーダ」と呼ぶにふさわしいなんぞと感じた (残念ながら「ル・シュマン」じゃなんかしっくりこない。プロヴァンス語ならなんて言うんだろう)。
(ラ・ストラーダ)
1535 D15との交差点のあるAsse川の谷に到着。去年のひまわり畑はすっかり刈られて何にもなかったので、最初気づかず (ひまわりがしおれている状態を想像してた) 通り過ぎかけた。
(これが去年ひまわり畑だったとこ。この谷がAsse川の谷、端に写ってる道がD15ですぐにD115と分岐する。谷沿いを行くのはD115でD15は右の山を登って、越えた先の盆地にあるValensoleに出る)
(分岐点。左がD115右がD15。両方なかなかの道だが、D115はほんとに狭くてすれ違いも難しいくらい。かなり高評価)
D15から交差点の方を見ると、ツールドフランスが通ることを示す看板。
(ツールドフランス 7月18日 かなり待たされるかも)
(交差点を北から。選手達は手前から奥へ向けて走る)
ひまわり畑の様子も見たことだし、引き返す。 (1540)
D15交差点, D4; D554, Vinon-sur-Verdon.
(D4。見て分かるかと思うけど、結構でこぼこの道で、所々穴があったりもする。選手達がこの三日後に通り過ぎるわけだけど、大変だろうなあと思った。車で走っててもそれなりに揺れるくらいなんだけど、自転車だと、あまりサスペンションとか効かないだろうし、尻が痛くなるだろうね。三枚目の写真、結構いい写真だと思うんだけど、横着して車の中から撮ったから、右下にボンネットが入っちゃった。残念だ)
(せっかくのD4もさっきのManosqueから来るD907との交差点以南では、こういうつまらん道になる。県境を越えると番号が変ってD554)
1605 Vinon着。
Vinonではこんな感じでちょっとお祭りっぽくなってた。子供連れの人がそれなりにいた。
この街はVerdon川の両岸に広がる街。左岸が旧市街っぽい。
(上流側。このままさかのぼって行くと、去年の年末に行ったGorges du Verdon [ゴルジュ・デュ・ヴェルドン=ヴェルドン渓谷])
(下流側。ちょうど橋の下が堰になってるみたい。岩で区切られた右側は前に来たときはカヌー競技のコースが造られてて、ちょうど試合をやってるみたいだった。カヌーのシーズンはいつなんだろう。前来たのがいつだったか忘れた。とりあえずこの日は何もやってなかった。こういう暑い日にやれば気持ち良さそうだけど)
(下からVinonの街を見上げる。ほんとは戦没者記念碑を探しに行きたかったけど、やたら暑くてばててしまっていたので、街の中には入らなかった)
(Vinonの南の町外れにあるロンポワン。普通にここからMarseille方面に行くときは左奥の方に行くんだけど、選手達は左手前から来て右奥に抜けて行く。そのせいで、左奥に行った先にある僕のお気に入りのGinasservis [ジナセルヴィ] の街は通過してもらえない)
D4でテンションが上がったはずだったのに、 Vinonの街を歩いてるうちにすっかりテンション下がってしまった。なんせ暑い、というか日差しが熱い。くたびれて暗い気持ちになって車に戻る。 (1630)
Vinon, D952, Cadarache.
16:40 Cadarache [カダラシュ] 通過。 Cadaracheって言うのは日本の六ヶ所村みたいな感じで、原子力関係のいろいろがある所。 ITERがここに誘致された。そういうわけでこんな感じで物々しい雰囲気になってる。車線の色も黄色になってるし。
(車線が黄色い理由はなんか書いてあった気がするけど、読まなかった)
(Cadaracheの二つある入口。二枚目の方がメインかな。この前をツールの選手達が通るわけだけど、なんでVinonから普通にGinasservisの方に行かないでこっちに来るのか分からなかったのが、ここに来て分かった気がした。この前を通らせたかったんだねきっと。 Cadaracheを世界に宣伝するために)
Cadarache, D952, St-Paul-lez-Durance.
(St-Paul-lès-Durance [サン=ポール=レ=デュランス] の街の横にはこんな感じの運河が流れてる。選手たちの通るD952は、街から見て運河を挟んだ対岸にあたる。つまり街の中は通らない。 D952は写真右側、街は左)
(写真の左側から来る選手たちは、橋のたもとの交差点で左折し、写真奥にあたるD11に入って行く。下の拡大した方で分かると思うけど、結構狭い交差点を90度曲がって行く。今回のコースの中では結構な難所だと思う)
ツールは通らないけど、一応St-Paulの街を歩いてみた。街中はこんな感じ。自分に元気が無いせいではあると思うけど、何となく倦怠感が漂ってた。
(役場)
St-Paul, D11; D3, Rians郊外.
(Bouches-du-Rhône県からVar県に入り、道の名前がD11からD3に変わる。いい加減しつこいと思われるかもしれないけど、舗装も変わる。もちろんきれいな方がVar)
(Rians [リアン] 北のD23との合流。選手たちは左から来て手前に抜ける。奥から来て手前に走るまっすぐな道に左から合流してくる様に見えるけど、書類上は左から来て手前に抜けるD3 (つまり選手たちが通る道) に奥から来るD23が合流ということになってる。 D23はさっき名前の挙がったGinasservisから来る道で、 Vinonから素直にMarseilleを目指せばこっちを通ることになる)
(選手たちも通るRians郊外のロンポワンから見えるRiansの街。教会がシンボル。選手たちは手前から来て右に行く)
Rians郊外, D3, Ollières.
(Rians - Ollières [オリエール] 間のD3。まっすぐで幅の広い走りやすい道だが、 St-Maximinまでの間に丘があるので、結構登って行く。 Ollièresは丘の向こう側の麓)
Ollièresで道沿いに戦没者記念碑を見付けたので撮影。
ついでにペタンクおじさんたちも撮影。
Ollières, D3; St-Maximin郊外, DN7, Pourcieux; D7n, Les Bannettes, Châteauneuf-le-Rouge, Aix南のマクドナルド.
やっぱりMarseilleまで行くのはしんどくなったので、St-Maximinからツールのコースからは離れてDN7で帰途に就くことにした。 St-Maximin郊外の交差点でマクドナルドを見て、どうしても食いたくなったので、 Aix [エクス] 南のマクドナルドでチーズバーガー、ポテトS、ストロベリーシェイクを食ってから、 1900帰宅。
190km程。
(一応去年のこれも参照)
(2007/07/20/06:44:08)