ciguwerao

2007/01/20の記録:Orgon et Lambesc

通り過ぎた事しか無い街としては大物の、 St-Rémy-de-Provence [サン=レミ=ド=プロヴァンス] に行ってみる事にする。大物に対しては、それに相応しい遇し方をせねばならぬと思い、地球の歩き方とLe Guide Vertの二冊を携えて出掛ける。
15時発。
始動が遅れたのでできるだけ早く着く為に、一番当り前の道で行く。
D7n, St-Cannat, Lambesc.
Lambesc [ランベスク] を通る辺で、通り過ぎた事しか無い街シリーズはSt-Cannat [サン=カナ]、 Rognes [ローニュ] と来たのだから、次は順番から言えばLambescに行くべきだよなと思う。しかし、 St-Rémyに行こうという気にせっかくなったのだし、 Lambescでは今日の感覚だと少し近すぎるので、また今度来ようと思い切る。申し訳に、 D7nからLambescの街の教会のドームを写真に撮る。 (15:30)

Lambesc, D7n.
D23をちょっと右に入ってMallemort [マルモール] のIntermarché [アンテルマルシェ (スーパー)] で給油。
D23; D7n, Sénas.
Sénas [セナ] からOrgon [オルゴン] に向かっていると、左前方の丘の上にこんな教会が見える。

そう言えば前から気になってたんだよなあと思った所で、いっその事今日寄ってまおうかという気になる。丘の下のカーブを抜けるとOrgonの街。この時点で丁度16時、 St-Rémyまで行くとすると時間があまり無い。でも、上の教会に行くんなら、 Orgonの街も見ておきたい。決めかねて一旦街を通り過ぎたが、ちょうどガソリンスタンドがあったおかげで引き返すには都合が良い。やっぱり引き返し、丘の上の教会及びOrgonの街を見とく事にする。 Orgonの街に入った時点で、計画変更、 St-Rémyは今日はあきらめ、 Orgonの街を見て、帰りにLambescも見て行くという事を決断する。
丘の上の教会までは、街を通り抜けて一旦丘の奥の方に回ってから、教会のすぐ下まで車で登って行ける様になってた。
街はずれから見上げる教会。

教会到着。

この教会、Notre Dame de Beauregardと言うらしい。
上の写真の右手の方、教会の建物を回って行くと、教会の向こう側、見晴らしの良い所に出られた。

写真に移ってる川はDurance。左の方に下って行くとCavaillon [カヴァイヨン] を通って (というより川の向こうに見える街がCavaillon) Avignon [アヴィニョン] 南西でRhôneと合流、右に遡るとPertuis [ペルテュイ]、 Manosque [マノスク] からSisteron [シストロン]、 Gap [ガップ]の方。
霞んで良く見えないが、Ventoux [ヴァントゥー] 山。

さっき下から最初に写真を撮ったのが、次の写真の真ん中に見える駐車場。写真左上から右下へ順に、 TGV、 Durance、高速 (A7)、県道 (D7n、元国道N7)、鉄道在来線。左は全部Avignonへ、右はみんなばらばらの方角へ。

この、教会下の野っぱら、岩山の比較的なだらかな斜面で、岩がひょこひょこ出てて草も生えてて、何より開けてて大変気分が良い。

(こんな感じ)
はしゃぎ回りたい気分になって、わあいってな感じでさっきの写真に写ってる十字架んとこまででんでこでんでこ駆け下る。
十字架の下から周りを眺めると、 Duranceの谷、と言うか、むしろもう扇状地と言うべきか、の広がりを我が物にしたかの様な気になる。風に向かって立つのも心地良い。
駆け下った斜面を今度はひいこら登る。教会の高さまで来ると、やはり気持ちのいい空間が広がる。

この気持ちの良さは、広いProvenceにもそうは無いと、大変満足する。見はるかすことのできる景色自体は、実はそれほどでもない。が、この空間の広がりが、他に替え難い。景色は大した事無いとはいえ、それでも見渡す事のできる空間は、高い所にあるだけにかなり広い。そして、そのかなり広い空間を眼下に見下ろしながら、はしゃぎ回れる空間もまた、それなりの広さが有る。例えば塔の上の様に狭い場所から四方を見下ろすのとは違う。ただでさえ気持ちの良い野っぱらから、三方を見はるかす事ができるのだ。これが開放感につながるのだろう。
大変満足して、礼拝堂をちょっと覗いてから街に下りる。
(礼拝堂)

丘から下って来ると、すぐに街の教会が見える。教会の右向こうには、上からも見えた廃墟 (城跡か?)。

とりあえず教会前に出てみようと写真左の道をおりて行くと、広場に出る。

(左の建物はOffice de Tourisme)
この広場の教会の前に戦没者記念碑

記念碑の脇の階段を上って教会の前に行って気づいたが、教会のすぐ隣が市庁舎。つまり、この教会前広場は、都合の良い事に、同時に市庁舎前広場でもある。 (教会には入れなかった)
左が市庁舎、右が教会。

フランスの町を構成する三つの重要な施設、市庁舎、教会、戦没者記念碑を一枚の写真に収めてみる。

Arèneと書いてあるので、ローマの競技場の遺跡でもあるのかと思って、表示に従って行ってみるが、特に古いわけでもない小さな闘牛場だった。

その他の街並。



門がある事から、この街もかつては城壁で囲まれていた事が分かる。街のちょうど反対側にも門があった。
写真の門の脇に、走り屋仕様に改造してあるらしい205が2000で売っていた。深緑色でなかなか魅力的。
この街の通り、バルテルミ通り (強制収容所で死去 1945)、ジュール・ロベール通り (空襲の犠牲者 1944)、ジョルジュ・コスト通り (強制収容所で死去 1945)、エドモン・コスト通り (ゲシュタポの犠牲者 1944)、ジャン・オーベール通り (フランスの為に死す 1940) という様に、この町の第二次大戦の犠牲者に由来する名が付けられている (これらの名前は戦没者記念碑にも記載されている)。
Orgonの散歩を切り上げ、 Lambescに向かう。 (17時)
Orgon, D7n, Sénas, Lambesc.
17:24着。
市庁舎前の駐車場に止める。
市庁舎。右に見えるドームが教会のドーム。

こんな表示板があったので、レジスタンスだから、普通の戦没者記念碑とは違うだろうと思いつつ、行ってみる。

(この表示板 (白い方) は、車の人向けの、近郊の街の名前や大きな施設 (駅や空港など) の方向を示す表示板で、街の中の教会や役場、公園等の施設については、それに添える形で斜字体で記されるのが普通。この場合も確かに斜字体にはなっているが、街のモニュモンの方向を示す為だけにこのデザインの表示板が使われている事は奇異に感じた。というのは、街の施設の方向を示す表示板は、全国共通のデザインじゃなくて、町が立てたっぽい、独特なデザインの表示板の場合が多い。このデザインの表示板が使われてるってことは、町レベルじゃなくてもっと大きな範囲で見ても重要なものと考えられているのかもしれないと感じたから。どんなもんだろうと思いながらとりあえず行ってみた)
数百メートル歩きD7nをくぐった左側に墓地があった。何となく入ってみたら、戦没者記念碑があった。

(後ろに見えるガードレールの道がD7n)
この記念碑、第一次大戦の戦没者を記念して建てられ、それにレジスタンスや植民地戦争での死者のプレートが加えられている点は、まあ普通だが、 Lambescの町ではなく、カントン (小郡) の傷痍・退役軍人及び遺族が送り手として明記されている点は異例。そもそも、墓地の入り口に設置されているのも珍しい。 (ちなみにこの記念碑の向かいには、北アフリカ及び海外で生まれ、生き、そして死んだフランス人の記憶の為に、と書かれたモニュモンが建てられている)
先程の表示板の事とあわせて考えても、この記念碑は他の街のものとは違う性格のものなのではないかと、釈然としないまま、とりあえず墓地を散策。 (表示板にはレジスタンスに関するモニュモンとしてあるが、この記念碑はレジスタンスに限らないので、もしかしたらさらに道を進めば他のモニュモンがあるのかもしれないが、確信を持てないのでそれ以上探さなかった) 【表示板が指し示してるモニュメントは実際は街からずいぶん離れた山の上にあるモニュメントの事だと、後で分かりました。詳しくは2008/11/16の記録参照】
墓地から街の教会を望む。

街に戻る。市庁舎は見たので、その脇の道に入り、階段を上り、教会前に出る。
教会の脇から教会前広場。

広場の真ん中に何やらモニュモンがある。これはと思って見てみると案の定、戦没者記念碑

(正面左から。右の赤い扉の建物が教会)
像に特徴はあるものの、LAMBESC A SES ENFANTS MORTS POUR LA PATRIE 1914-1918 (直訳すると Lambescより、祖国の為に死んだその子供達へ。もちろんこの他に第二次大戦等についての文句が他の面に加えられている) という碑文は非常にオーソドックスなもの。これが、他の街のものと同じ性格の記念碑だと考えて良いだろう。
先程のは、傷痍・退役軍人の団体、遺族の団体が、これとは別に立てたものなのだろう。こちらの記念碑を立てた人々との間に対立があったのかどうかは分からない。先程のはコミューン (市町村) 規模ではなくカントン規模であった事がポイントかもしれない。
いずれにしても、一つの街に二つの記念碑があるのは初めてだ。今までは一つ見つけて安心して他を探さなかったから、見つけられなかっただけかもしれないが。
こちらの記念碑について、市庁舎前ではなく教会前にあるというのも一つのポイント。
教会の中から音楽が聞こえる。人も出入りしていて取り込み中の様だ。遠慮がちに中の様子を窺ってみる。音楽が聞こえると言っても、途切れたり、やり直したりするので練習中の様だ。その上、パイプオルガンではなく、エレクトリックギター。弾いてるのも若者集団だ。それにしても、この教会は歴史的建造物に指定されている13世紀のものだそうで、ギターの音も良く響いてきれいに聞こえる。

crècheがまだ残っているが、そのすぐ脇でギターを弾いているので、離れた所から写真を撮る。

教会を出て、街を散策。猫や車や街並の写真を撮ったが、面白いのがないので省略。この街にも門があり、かつては城壁もあったのだろう。この街はそれなりに大きな街で、街の様子をちゃんと把握するには歩き足りなかったが、暗くなってきたし、あまり気分も乗らないので、引き上げる事にする。又来る事も有るかもしれないし、無いかもしれない。
18時前発。
Lambesc, D67e; D572; D67e.
D572との交差は、ちゃんとした十字路になってはおらず、丁字路でD572を一旦右に50m程行ってからもう一つの丁字路を左折する様になっている。それが頭に入っておらず混乱して右に行く所を左に行ってすぐ間違いに気づきUターンしたが、後ろから来た車に怒られた。
D67e; Coudoux, D19; D10.
RotondeのOffice de Tourisme脇に車を止め (18:40)、 20分程街を散歩。いつもの様にCours Mirabeauをぶらついてから街に入り、 St-Sauveurに挨拶をしてRotondeに戻って来た。
19:15帰宅。
116km程。

(2007/01/21/07:30:05)
| 西 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

2007/01/19の記録:ちょっとドライブ

ちょっとだけドライブ。
21:30発。
D7nをD96との分岐まで行って引き返し、D58; Beaurecueil, D46; D17, le Tholonet.
外周を回ってRotondeを通って帰って来た。
D58はまだ通った事無いだろうと思って通ったが、走ってるうちに前に通ったかもしれない気もした。
一昨日車検のために右サイドミラーを直したので、ほぼ二年ぶりの右サイドミラー付ドライブを楽しもうという趣向だったが、ほとんど片側一車線の道だし、全然使わなかった。 Marseille [マルセイユ] にでも行かないと使い方を思い出す機会が無いかもしれない。
22:15帰宅。
26km程。

(2007/01/20/06:28:42)
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2007/01/11の記録:散歩

新年だというのに思うにまかせぬ事があってすっかり屈託してしまいながら家に籠っていた。相変わらずちっともはかどらないながら申し訳程度の仕事をして、無理矢理にけりを付けた所で、なんとか苦境を抜け出すために気分転換の外出をすることにした。今年に入ってほとんど車に乗ってなかった事もあって、ドライブに行こうかとも思ったが、歩きたいという気持ちが勝ったので、centreまで散歩に行く事にした。
14:15発。
生産的活動の香りをつけるために持って出た、電話代支払の書類をポストに投函。久しぶりの生産的活動だ。
空は良く晴れてるので、Ste-Victoireは僕と違って元気な様だ。

centreへの坂道を登る。

この坂を登る時はいつもの事だが、体が熱くなってきたのでウインドブレーカーを脱ぐ。いつもの事と言っても、今年は大家が気候変動を心配する程に異様に暖かい。去年なら、厚いコートを脱いでセーター姿になり、それでは流石にちょっと寒く感じると言った程度だが、ウインドブレーカーの下に着てたのは薄手の長袖シャツで、それでもちょっと暑く感じる程。
30分程でcentre着。
Cours Mirabeauを少し歩いてから、街中に入る。
ぼけぼけしてるうちにソルドが始まってしまっていた。そろそろだとは思っていたが、もう始まっているとは考えなかった。不意を衝かれてかなり動揺する。あらかじめ知っていれば、心の準備をしてから出て来るので無駄な買い物はしないで済むのだが、心の準備ができていなかったために強い不安を覚えながら、celio*に入る。相変わらず特に心引く物はない。まだ始まったばかりだろうから、特別安くなっているというわけでもない。無事に抜け出す。元々必要な物など無いのだ。
次の関門のGAPに入る(celio*だとかGAPだとかに入ってしまう所が悲しい。どうせ入るのならもう二つ三つ格上の店に入りたいものだが)。いつも通りの品揃えだ。特別な物は無い。腐る程金が有ればシャレで買っても良いが、10サンチーム、1サンチームを惜しみながら暮す身だ。そうそう要らない物を買う金はない。去年の様にちょうど欲しいと思ってた様な物が、元140を15で売っていたりすれば買わない事も無いのだろうが、今は必要な物など無いのだ。動揺もかなり収まり、余裕を持ってさして広くない店内を見て回る。10分か15分位いて、購入した服を持って店を出る。40が20だ。ちょっと厚手で、Tシャツの上に着る感じで、襟から胸の所までファスナーで開け閉めできる服(こういうのをなんと呼ぶのか知らない)は黒いの一着しか持ってないのだから、半額になっていれば買うのは当り前だ。
いくつか、靴屋や服屋、入った事の無かった店にも寄りながら、例によってSt-Sauveurを目指す。
街には、平日の午後だというのに、それなりの人出。
St-Sauveurでは、パイプオルガンの練習中の様。

屈託した心を慰めるにはうってつけだ。気を鎮めながらしばし聞入る。時々つっかかってやり直しする所などもなかなか良い。僕の他にも、静かに聞入る人が、少しとは言い難い程の人数だけいる。
左を見ると、crècheはまだ残っている。

正面。

10分弱ほどいて、外に出る。
Rotondeの方に戻る。それなりに街をうろうろしたので、もう充分の様に感じ、そのまま帰る。帰りながら、改めて街中に住みたいものだと感じた。散歩は爽やかだ。特に空気の冷たい冬は。体が、そして心が引き締まる。街中に住んでいれば、もっと気軽に、もっと頻繁に散歩ができるだろうに。車を持つと、なかなか難しいのだが。
とは言え、外出前に期待した程に気分が変わる事は無かった。外にいる間こそそれなりに良い気分であるが、部屋に戻ればいつものどんよりと生温く沈滞した空気が待っていた。
16:30帰宅。
空気を入れ替えたくて表の扉を開けておいたら、ちょうど学校から帰って来た、3歳になった大家の孫がこちらを覗き込む姿が、扉のガラスに映って見えた。
遠慮がちに覗いたから、奥にいた僕が見えなかったのだろう、
« Il n'est pas là ! »
ママンに報告する舌足らずな声で、心が多少晴れた様にも感じた。

(2007/01/13/04:59:36)
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2006/12/27の記録:D7n ou DN7 ? + Trets

こないだGorges du Verdon [ゴルジュ=デュ=ヴェルドン] に行った帰りにSt-Maximin [サン=マクシマン] から元N7だった道を通った時、 DN7という表示を見た記憶があったんだけど、その時はSt-MaximinがBouches-du-RhôneなのかVarなのか分かってなかったから、よく考えずに帰って来ちゃった。
で、St-MaximinはVarだという事は確認したんだけどその後特に何とも考えずにいて、この朝にベッドでうだうだしてる時にふと、 DN7ってのがVar県でのN7の新しい名前なんじゃないかという事を思いついた。それを確認しに行ってきた。
1330発。
Chemin de la Guiramande; Chemin de Levesi; D58h; D7n; DN7.
Chemin de la Guiramande [シュマン・ド・ラ・ギラマンド] で撮ったSte-Victoire。

1410県境到着。

Varに入ってちょっと行ったとこで標石 (道番号と、その道の起点から何キロかってことを書いてある石。石とは言っても行ってみたらプラスチックだったけど) をめっけて、よく見えなかったけど、 DN7って書いてある事を確信した。おれの勘はよくあたるね、と思った。まあ、論理的に考えればもともと妥当性が高かっただろうけど。
Varに入って一個目のロンポワンで車を止める。
表示板のてっぺんには道番号の表示があるのが普通なのに、ここには無い。ポールが余ってる所からしても、 N7じゃなくなった時に取っちゃって、代わりのをつけてないんだと思う。

さっきの標石のとこまで歩いてって、確認。

やっぱり « DN7 » ってなってる。横っちょの « 1 » は起点から1キロって意味だから、位置から行って県境が起点になってると考えられる。
この辺は車が結構通るうえに歩行者なんて想定してないから歩くの結構怖い感じだった。何やってんだこのあんちゃんはって思われたと思う。
県境まで戻る。県境手前のVar側に丁度休憩用駐車スペースがあったから、そこに止めて県境。

こんなんが立ってた。

これでちゃんと、僕が嘘っぱちぬかしてんじゃなくて、ここがほんとにかつては国道だったって事が分かるでしょ。 Paris [パリ] からAntibes [アンティーブ] までの国道N7ってことがちゃんと書いてる。ただし、この石立てた時にはAntibesまでだったかもしれないけど、今、というかちょっと前まではMentonのイタリアとの国境まで行ってた筈。
ちょっと引いてみるとこんな感じ。

Bouches-du-Rhône側の最初の交差点に行ってみる。
表示板はこんな感じ。

てっぺんにちゃんと道番号が、 « D7n » ってなってる。
満足してD12で一旦Tretsの方に行ってみたんだけど、 Bouches-du-Rhône側の最後の標石を確認しときたくなって戻る。
Bouches-du-Rhône側は標石じゃなくてこんな感じのちっちゃい表示板。

(後ろの山はSte-Victoire)
これで、国道から県道への格下げはBouches-du-Rhône県だけの問題じゃないってことが確認できた。なんなんだろう。グローバリゼーションの流れで小さい政府志向がフランスまで押し寄せて来たってことを意味するのかね。
それはそれとして、新しい名前統一しろよ、ややこしいじゃんか、と思う。
Var式にDN7ってした方が、元国道ってことが分かりやすいけど、他の道との釣合いが取れない。 D7nは経緯を知らないとなんやらよう分からんけど、これまでの道番号のシステムとの整合性は取れる気がする。ただ、 DxaとかDxbとかってのは、たいていDxからの分岐とかバイパスとかって感じで、 Dxと何らかの関係があるんだけど、 D7とD7nは何の関係も無い。交差してすらいないんじゃないかな。一長一短あるって事だけど、僕の好みとしては、地元びいきもこみで、 D7nかな。道番号を並べて書いた時に、他の道から浮いちゃわない事を評価したい。
ただ、 Var県の名誉のために言っとくと (僕の好き嫌いがVarの名誉をおとしめる筈も無いけど) Varの道はきれいです。この辺だったらどの道走ってても、道がきれいになったらVar県に入ったと思ってほぼ間違いない。元N7は流石にBouches-du-Rhôneでもひどいって程じゃあないけど、 Varに入るともっと良くなる。そもそもBouches-du-RhôneとかVaucluseの道はきたなすぎる。なんであんなにでこぼこなんだ。カマルグとか走って、 Varとは反対側の隣のGard県に入っても、目に見えて道がきれいになる。まあ、個人的にはでこぼこ道好きなんだけど。
せっかく近くまで来たんでTrets [読みは後ほど] 見物。
さっきの交差点からD12, Trets.
15時着。
車とめたとこのすぐ近くが市庁舎前広場。市庁舎の前には戦没者記念碑

(この記念碑では、左右の側面に第一次大戦の死者の名が、裏っかわに第二次大戦の死者の名が書いてある)
広場自体はこんな感じ。

なんかの門 (後で分かったんだけどこの街昔は城壁で囲まれてたらしく、その名残)。

さっき道っぱたで写真撮ってた時には日差しもあって暑いくらいだったから、ウインドブレーカー脱いじゃってたんだけど、街中では日陰になるし、寒くなって来たんで車に戻ってウインドブレーカーを羽織ってから、散歩を続ける。
市庁舎の横手から、北に向かう小道を進む。
昔のシナゴーグらしい。

目当ての教会。


教会前広場では、仲良いんだか悪いんだか分かんないちびっ子三人組 (女女男の三兄弟と見た) が遊んでた。
写真撮ってたら、こんちはって言うんで、こんちはって返す。
末っ子 (推定) 坊主がおっちゃん中国人?って聞くんで、違うよーって言ったら、お姉ちゃん (推定) が日本から来たんだよ。うん日本人、と僕。
坊主が坊主らしい荒っぽい口調でなんか言ったんだけど分からんから何?って聞いたらお姉ちゃん (推定) が日本はきれいなの?って通訳してくれた。
うーん、分かんないなあ、でも、うんきれいだよ、きれいだと思うよ、と返事。
どうも自分が大人になりきれんから子供との会話は苦手だ。こんなん、うんきれいだよ、すっごくきれいだよって言っときゃいいのにね。
で、今まで黙ってた真ん中 (推定) がここはTretsだよって言う。
そういえばこの街、字では知ってるけど、なんて発音するか分かんなかった。今の真ん中 (推定) の子の発音も最後がよく聞き取れなかった。元々その辺のおっちゃん捕まえてなんて発音するか聞いたろと思ってた位だから、いいチャンスだと思って、この街の名前って「とれっと」?って聞いたら、真ん中 (推定) とお姉ちゃん (推定) が声をそろえて、「とれすー」って教えてくれた。
念のため、「とれす」?っても一遍聞くと、うん「とれす」、だって。 (「とれつ」とも聞こえます。すとつの間くらいの音と言っとけばいいんじゃないかな)
元々「とれっと」か、「とれ」かで悩んでたんで、「とれす」とは思いも寄らんかった。でも思いも寄らんのは僕がフランス語よく分かってないからで、言われてみたら、 Metzも「めす」だ。法則性があって、分かる人には分かるんかもしれん。非常に勉強になった。
非常に勉強になったと思って、アヴォワも言わずにちびっ子達と別れる。この辺がほんとに大人じゃない。駄目だな。
教会の鐘楼を裏から。

この教会12世紀のものだって書いてあった。古い。
旧市街らしいのを北に抜ける。

昔このD12を右の方にSt-Zacharieの方に行った事がある。覚えてる様な覚えてない様な。
振り返るとこんな門 (これを抜けて来た)。左奥に教会の鐘楼が見える。

で、こんな風に城壁が街の北西っかわには残ってる。

それにしてもこの街ちっちゃな街だ。さっき撮った南の門から、この北の門まで直線で300メートルも無いくらい。それでも、古い教会があって、シナゴーグがあって、立派な城壁があるんだから、なかなかの街だったんだろうね。
城壁伝いに街の西っかわを回って車に戻る。
1530発。
Trets, D6; D6c; D96 (これも、もはや驚かんけど、ついこないだまでN96だった); D7n; D58c; le Tholonet, D17.
外周を回って街の様子をうかがってから帰る。
うちのそばで例によってSte-Victoire。

みかさのやまにいでしつきかも。

1630帰宅。
81km程。
Tretsから一時間もかかったのは意外だけど、外周が最後渋滞してたからね。

(2006/12/28/01:08:58)
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2006/12/22の記録:Arles

10時発。
D64,(Aqueduc de Roquefavourを通って行こうと思ったのに、なんか知らんけど通行止め) D543, D10, la Fare-les Oliviers, St-Chamas, Miramas; D5; D17, Mouriès, Maussane-les-Alpilles, Paradou, Fontvieille。
ドーデの風車を見る。駐車場に他の車は無く、歩いて来たらしいカップルだけがいた。
Fontvieille, D17, Arles。
闘技場を見物。


St-Trophimeの回廊で国際サントン展をやってたので、crèche見物が趣味の僕としては見といた方が良いだろうと判断して初めて回廊に入る(教会の中はただで入れるけど、回廊は有料。3€50だったかな)。







Forum広場で食事(steak hachéとフリット。フランス人の若者みたいだ)。

(Forum広場とFrédéric Mistral像)
街を散歩。カマルグの海っぺたで拾ったらしい流木を使って軽く芸術的な家具やら飾りやらを作ってる兄ちゃんの展示会をのぞく。普段はAigues-Mortesに店を出してるらしいぞ。
さらに街をうろうろしてRhôneを見たりする。

車に戻り、St-Rémyでも通って帰ろうかと思った所で、ゴッホの跳ね橋を見とこうって事を思いつき、D35で跳ね橋まで。着いた時には日が暮れてしもうた。

Arles, D113(元N113。やっぱり国道から格下げされてた。D113は今まで無かったからだろうけど、N7N8→D7nD8nと違って終わりにnは付いてなかった); Salon, D572; D17, Éguilles, Aix。
散歩の後、食事(Chez Maxime)。
23:30帰宅。
200km程。

(2006/12/27/05:05:25)
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2006/12/21の記録:Gorges du Verdon

10:00発。
D10, Vauvenargues; D223; D23; D3, Rians; D23; Ginasservis, D554; Vinon-sur-Verdon, D952, 給油, Gréoux-les-Bains, St-Martin-de Brômes; Allemagne-en-Provence, D111, Montagnac; D11(この後突き当りで右D111を行くつもりだったのに左D11に行っちゃって遠回りになった); Riez, D952, Moustiers-Ste-Marie。
見物の後、村の下のホテルで食事。




戦没者記念碑

食事したホテル。

Moustiers, D952(ほんとは D957; D19; D71と反時計回りで行くつもりが、そのままD952で行っちゃったんで、時計回りになった)。
Gorgesの入り口。


D952; la Palud-sur-Verdon, D23。
このD23は真ん中辺からは時計回りの一方通行になっていて、地図にそう書いてあるし、看板にもそんな様な事が書いてあったのに、地図はよく見なかったし、看板も三行くらいの文章なんで読むのが面倒で素通りしちゃったせいで、途中から引き返す事になった。でも峡谷はまあ見れたんで良しとする。



D23を引き返して, la Palud, D952; D955; D90, Trigance。
Trigance。

Trigance, D90; D71(この辺で日が暮れる); D91; D619; D957; Aups, D9; D30, Régusse; Montmayan, D13; D71; Tavernes, D554; Barjols, D560, Brue-Auriac; St-Maximin,(N7?、Var県内ではN7のままだったか、県道になってたかよく見なかった)D7n, Aix(20時頃着)。
散歩の後、食事(クスクス)。
22:30帰宅。
310km程。

楽しみにしてたGorges du Verdonは期待通りそれなりにすごかったんだけど、こうして写真で見るとたいした事無く見えちゃうな。去年行ったGorges de l'Ardècheと、区別付かないじゃん(cf. 2005/11/13の記録)。微妙にがっかりだ。Ardècheの方も面白かったんだけど、迫力で言えばVerdonの方が上かなって感じ。両岸通れるのも良いね。帰りの南側は日が暮れててなんも見えんかったけど。地球の歩き方で、「道幅が狭いうえにガードレールも何もないので、運転は経験のあるドライバーに任せたほうがいいだろう」って脅かしてあるし、連れもあったんで(その上帰りは日が暮れたし)警戒してたんだけど、道幅は結構あったしガードレール(あるいは膝の高さくらいの壁)の無い所もほとんどなかったから危ない所は無かったと思う。南側のD71は最近舗装したみたいできれいだった。D23は狭かったけどね。Gorgesの周りを走っててすれ違ったり抜いたり抜かれたりした回数は10回も無くて、そういう意味ではえらく寂しかった。夏だったらもっと車いるんだろうね。Moustiersは全く期待してなかった(というかノーマークだった)けど、面白かった。

(2006/12/25/02:11:52)
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2006/12/20の記録:Luberon, Avignon et Marseille

10:30発。
Géantで給油。
D17, Éguilles; D18, St-Cannat; D543; D66; St-Estève-Janson, D561; D543; D943, Cadenet, Lourmarin; D36, Bonnieux。
Bonnieuxでいつもの様に写真。


Bonnieux; D3; D109; Lacoste, D106; N100; D103; D2, Gordes。
Gordes見物の後食事。

Gordesの戦没者記念碑

Gordes, D177, Venasque; D28, St-Didier, Pernes-les-Pontaines, St-Seturrin-les-Avignon, Avignon。
Avignon見物。
Avignonのカテドラルのcrèche。

Avignon(郊外で渋滞), N7; D7n(県道に変わってるのはBouches-du-Rhône県内に入ってからでVaucluse県内ではN7のまま), St-Andriol, Plan-d'Orgon, Orgon, Sénas, Lambesc, St-Cannat; Aix, N296a; A51, Marseille。
旧港付近、パニエ地区なんぞを見物の後、食事(ブイヤベース)。




Marseille, A55; A7; A51; D8n, Luynes。
24時前帰宅。

(2006/12/25/01:27:11)
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2006/12/18の記録:Marseille

用事でMarseille [マルセイユ] に行く。
13:30発。
どうでもいいと思われるだろうけど、昨日の悪い予感が見事に当たってしもうた。 N8だった筈の道がD8nに変わってる。これなんなんだろう。 Bouches-du-Rhône [ブーシュ=デュ=ローヌ] 県が意地張って、 Paris [パリ] なんぞの世話にゃあならねえ、うちでなんとかしたるわいって国道指定返上しちゃったのかね。せっかくえぬななえぬはちでちゃんとN7N8って変換される様に登録したのにどうしてくれるんだよ、全く。
D8n, Luynes; A51, Marseille.
用事を済ませてから、そのまま帰るのもつまんないので、軽くMarseille見物。
やっぱり海が見たいから海沿いを走ってみる。
海を背に戦没者記念碑。

この記念碑は、オリエント及び遠い土地でフランスのために亡くなった人へ、ってて書かれてて、第一次、第二次の大戦、インドシナ、アルジェリアの戦争等での戦没兵士全般が対象になってる他の街の記念碑とはちょっと性格が違いそう。全般的なやつもMarseilleの他の所にあるんだろうと思う。
ここから海に向かって右の方はこんな感じ。

ちょっと西の方 (海に向かって左) に行くと橋があって、橋をくぐった陸側にはこんな感じで漁港がある。


二枚目の写真、日光の関係でよく見えないけど、真ん中やや左の丘の上にNotre Dame de la Garde [ノートル・ダム・ド・ラ・ギャルド] が見える。
漁船が帰って来た所。

この橋の海側正面にはIf島。

車に戻り、丘を登ってNotre Dame de la Gardeを目指す。
坂の上にNotre Dame de la Garde。

Notre Dame de la Gardeはいつ来ても良いね、見晴らしが良くて。風が強くて寒いけど。
ファサアドを背にしてやや右斜め前の方から、反時計回りで順に。
旧港全景。

正面やや左にはIf [イフ] 島と周りの島々。右の島には病院があって、疫病の病人の出た船の船員は全員、しばらくの間ここに隔離されたって話を聞いた事がある。

一気に裏に回って、 Cassis [カシ (ス)] の方。
左の方にStade Vélodrome [スタッド・ヴェロドローム、OMの本拠]、右の方にLe Corbusier [ル・コルビュジエ] のマンションというかアパートというかをちゃんといれた筈だったのに入ってない。入ってたとしてもよく分からないだろうけど。この写真のちょっと右にあります。

Palais Longchamp [ロンシャン宮] と周りの街並。

ほぼ一周して、旧港のどんつきの向こうに真直ぐ延びてる道はAix [エクス] 方面に向かう高速 (A51)。

正面に戻って下を見下ろすとサッカー場。結構子供達の試合やってる事が多いんだけど、今日はやってないね。

帰る。
Marseille, A55; A7; A51; D8n, Luynes.
Luynes [リュイン] からは奥の方の裏道。一回道間違えた上に、前走ってた車が右に寄せてスピードおとしたんで止まるんだって思って抜かそうとしたら、左にある家の庭に入ろうとして左に曲がりだしたんで、危うくぶつかりそうになりながらすり抜けた。悪いことした。こんな細い道はきっと住民くらいしか通らない生活道路なんだろうから、よそ者が走るのは問題あるかなって思って反省した。
うちのそばのいつも車とめてるとこに来たら、ここんとこずっと親しくしてる黒猫がお出迎え。ちゃんと向こうから寄って来てくれた割には、その後は興味無さげにしてた。

17時前帰宅。
87km程。
(基本はMarseille往復だった割には結構走ったね)

(2006/12/19/01:47:46)
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2006/12/17の記録:Rognes, Cadenet et Vaugines 

通り過ぎた事しか無い街シリーズの第三弾 (第一弾はGardanne [ガルダンヌ]第二弾はSt-Cannat [サン=カナ]) として、 Rognes [ローニュ]、 Cadenet [カドネ] に行く事にする。
1330発。
いつもの。見えないけど。

今日は一番普通のN7で行こうと思って走ってるうちに、悲しい事に気づいた。先週St-Cannatに行った時に、 N7の筈なのに街の中ではD7nってなってると書いたけど、それはSt-Cannatだけの話じゃなくって、 N7だった筈の道がずっと、かつては赤の表示 (国道) でN7となってた確かな記憶のある表示板まで黄色表示 (県道) でD7nって変わってる。だいたいBouches-du-Rhône [ブーシュ=デュ=ローヌ] 県が立てたと思われる看板で「D7nを通りやすくします!」ってな感じの事を呑気に言ってたりする。もはやN7が県道に格下げされたと考えざるを得ないようだ。一桁国道なのに。もしかしたら別のルートがN7になったのかもしれないけど、心当たりは無い。 D7nの最後のnが、昔国道だったよって印なんだろうけど、それがかえって切なさを誘う。ちょっと悲しすぎる。命長ければ恥多しとはこの事だ。変わったことに今まで気づかなかったのも悔しい。いつ変わったんだろ。もしかしたらうちの下走ってるN8もそうなってたりするかもしれん気がして来た。いづれにしても、このショックは尾を引きそうだ。
D7n; D543, Rognes.
で、暗い気分を吹き飛ばすためにD543の秋らしい風景。

Rognesの街に近づくと、なんか知らんけど道ばたにやたら車がとまってて、今までその存在に気づきもしなかった駐車場も車でいっぱい。こりゃあRognesの街で何かやってるなと思いつつ、とりあえず街中に入ってみる。やっぱりcentreっぽい辺で人だかりがしてて、その辺の道ばたも車がいっぱいで止められない。一旦Cadenet方面に抜けてから引き返し、さっき街に入る前に右っかわに見っけた駐車場の隣の仮の駐車場みたいなとこにとめる。日曜日だし寂しい感じなんだろうと思って来たのに、全く予想外。この街にこんなに車がいるのも初めて見た。
14時着。
とりあえず街の方に向かう。
ちょっと魅力的な教会。忘れてたけど、前から気になってはいたんだよね。
後ろ姿。

前から見るとこんな感じ。

ついでに、Rognesの街をちょっと外から見るとこんな感じ。右上に城跡っぽいのが見える。

街並と市庁舎 (右の建物)。左奥の方に行くとcentre。市庁舎は街のちょっと外れにあるってわけです。ちなみに市庁舎にはMairieって書いてある。街によってはHôtel de Villeってなってるんだけど、個人的にはここみたいにMairieってなってるとこの方が、慎ましやかな感じがして好もしいと思う。

Rognesの街は、D7n経由でAix [エクス] の方から、あるいはÉguilles [エグィユ]、 Calas [カラース] を通ってMarseille [マルセイユ] の方から来て、北に抜けてVaucluse [ヴォークリューズ] 県に入ってCadenetを越えてLuberon [リュベロン] の方まで続くD543 (Vaucluse県内ではD943)、先週行ったSt-Cannatから来るD18、 Salon-de-Provence [サロン=ド=プロヴァンス] の方からLambesc [ランベスク] を通って来て (LambescからはD7nでCavaillon [カヴァイヨン]、 Avignon [アヴィニョン] に通じてる)、 le Puy-Ste-Réparade [ル・ピュイ=サント=レパラード] に抜けるD15、同じくLambescから田舎を通って来て、 St-Estève-Janson [サン=テステーヴ=ジャンソン] に向かって山ん中を行く僕の好きなD66、 Puyricard [ピュイリカール] から来るD14cなんかが集まって来る、この辺ではちょっとした交通の要衝と言っていい街。
右がLuberon、左がLambesc、 Salon、手前がAix、 Éguilles。

人がぞろぞろ歩いてるし、奥でなんかやってそうだ。

こんな人出。やってる事は別に普通のmarchéって感じだけどね。

子豚がぶうぶう。

(この豚は別に食うために売ってるんじゃなくって、かわいらしさで人目を引いて、動物のためとかなんとか言って寄付を募ってるんだと思うんで、ご安心を。というのは、随分前にApt [アプト] のmarchéに行った時もこんなんがいてそんな事言ってた記憶があるから。ついでに言うと、多分Rognesにとっては今日は一年の中でも重要な日なんだろうけど、 Aptではこれより大きな規模のを毎週やってます。まあAptのは午前中で終わっちゃうんだろうけど)
駐車場潰してmarché。

目当ての戦没者記念碑も、真ん前に物売りのテントが出てて、ベストポジションが取れなかった。 (てっぺんのle coqに注意)

この記念碑は市庁舎前でも教会前でもなく、多分学校と思われる建物の前 (というか横) のちょっとした三角広場に立ってます。子供に死の思想を植え付けるのか、と言いたい人は言って下さい。
市庁舎も戦没者記念碑も見ちゃったんであとは教会だって事で、教会を探すんだけど見っかんない。 ÉgliseじゃなくてChapelleだけど、こっちにあるよって書いてある表示板に従って歩いてったら町外れに出ちゃった。モニュモンイストリイクの印がついてるから、見に行きたい気もなくはなかったが、面倒だし寂しいんで引き返す。気づいたら歩いてる道はLambesc方面に向かうD66だった。確かに見覚えがある風景。

街の入り口の方に戻って見たら、今度はちゃんとÉgliseこっちって表示が出てる。で、ずんずんそっちに行ってみたんだけど、教会は無さそう。なんか、それなりの坂を上って行く感じになって、どうも上に見えた城跡へ向かってる感じ。

で、ちょっと高くて見晴らしの利くとこに出たもんで、四方を見回してみたら、教会あった。後ろの方に。

でも、城跡が見えちゃうんだよね。結構近そうなとこに。さっきmarchéんとこから城跡を見上げてた時は、もっと若くて元気で馬鹿だった頃なら、間違いなくあっこまで登ったんだろうけどなあ、なんて考えてたんだけど、ここまで来たら城跡行きたくなっちゃったんで、行く。
前に方に一組のカップルがいて、カップルって言っても40前くらいの人達なんだけど、明らかに僕と同じで城跡目指してて、ちょこちょこ振り向いて来る。何か気味の悪い東洋人がついて来るんだけど、どうしようなんて言ってんだろうなあとは思ったけど、そう言われてもおれだって行きたいんだもん、って事で、努めて気にしない様にした。
結構急な獣道みたいな道を伝って登ってく。
だいぶ近づいて来たぞ、城跡。

まあ五分くらいそんな獣道みたいのを歩いて、てっぺんに出た。

で、カップルの女の人の方が廃墟の辺を見てたんだけど、おっさんの方がいない。何処行ったんかねって思いながら、右の方に行って、ふと見回してみたら、岩の陰でたっしょんしてて、目が合っちゃった。悪いとこ見ちゃって、申し訳ない。ますます東洋人嫌われちゃったかね。まあ、そう言われても困るんだけど。
頭を切り替えて、辺の風景を見る。
Lambescの方(D15)。

Aix、Éguillesの方。左の端に見える丘の上にも、砦跡みたいなのが見える。つくづく平和な時代に生きられて良かった。

廃墟。この大きさだったら、城というより砦、もしかしたらただの小屋かもしれん。

カップルが談笑してる隙に僕は見るもんは見て撮るもんは撮ったんで、お先にって感じで登って来たとこから下りる。
さっき上に立って写真を撮ってた崖の横っ腹にはこんなレリーフが彫られてた。マリアンヌかな。

こんな道を歩いてたんだけど、

この右の方から例のカップルが現れた。なんだよ、そんなとこにも下りる道あったんかよって思いながら、東洋人に対する憎悪をこれ以上掻立てない様に、彼らがいなくなるまでしばらく待つ (多分向こうはこっちに気づかなかった筈)。
で、ずんずん下りてって、途中から登った道とは違う道を行って、崖に穴掘って人が住んでるらしいとこ

とか写真を撮ったり、犬に吠えられたりしながら、街に戻る。おりた所はD15。上から見たら教会はD15沿いにあるみたいだったから、好都合。
教会。前の広場が工事中だし、閉まってる。

柵の隙間から広場に出ようと思えば出られたけど、まじめに一旦街の入り口の方に戻ってから、教会を挟んでD15と反対側の道から、教会前広場に行ってみる。
こんな感じで、なんか細長い教会だ。

これで見るべき程のものは見た。もうずいぶん写真撮ったし、結構満足したんでCadenetはまた今度という事にしていまは帰ろう、とも思ったけど、まあ、時間もまだ早いし行く事にする。
1515Rognes発。
D543, Bassin de St Christophe.
水が戻ってる。 (cf. 2006/11/12の記録)

D543; D943, Cadenet.
1530着。
CadenetはDurance [デュランス] 沿いの街でDuranceに沿ってManosque [マノスク]、 Pertuis [ペルテュイ] の方から来てCavaillon、 Avignonの方に向かうD973 (緑の道=幹線) とRognesの方から来てLourmarin [ルールマラン]、 Apt (Luberon) に向かうD943の交差する街。
Cadenetのシンボル、鼓手。

(ナポレオンのイタリア遠征の際、1796年11月16日にフランス軍はアルコール橋 (Pont de l'Arcole) の前で敵のオーストリア軍に行く手を遮られていた。 Cadenet出身の鼓手、 André Estienne、このとき19になったばかり、は、密かに川を渡ってオーストリア軍の背後に回り、太鼓をどんつくどんつくかき鳴らした。ほいでオーストリア軍は敵に後ろを取られたと思って混乱し、戦わずして撤退 (もしかしたら混乱している間にフランス軍が攻めて勝ったのかもしれん)、フランス軍は進軍を続ける事ができましたとさって話。詳細は自信無いです。この功によって五年後にアンドレはボナパルトになんか賞 (Baguettes d'Honneur en Argen、直訳すると名誉の銀のスティック) をもらって、さらに三年後今度はレジオンドヌールをもらったんだってさ。すごいね。さらにこの銅像は、占領下の1943年9月4日から5日の夜、危うく鋳潰される所を数名のレジスタンスによって救われた (ナチスから隠したみたい) らしいです。そんなわけで、これは二重の愛国モニュモンになってる。つくづくフランス人はナショナリストだよね)
鼓手の脇を抜けて奥の方に行くと市庁舎。

さらに行くと教会。

中に入れたんで入る。 (crècheは無かった)

戦没者を記念するプレート。 (このあと街ん中色々探しまわったけど、記念碑は見つからんかった。このプレートがその代わりみたい。 Aigues-Mortesも確かそうだった) 【この辺の認識は、この後色々経験を積む事によって、正確じゃない事が分かりました。教会にプレートがあっても、別の場所に記念碑がある事は多く、 Aigues-Mortesもそうです。〔cf. 2007/04/17の記録〕 Cadenetではまだ確かめてないけど、記念碑は多分別の場所、おそらくこの日訪れなかった墓地にあるんじゃないかと思います】【思った通り、墓地にありました。〔cf. 2007/07/22の記録〕】

街は日曜らしく人気が無くて寂しいんだけど、教会横の広場にはちゃんとペタンクおじさん。ここだけが明るい感じだった。

Cadenetは結構大きな街 (多分Rognesよりずっと) 【Wikipédiaで調べてみたら、 1999年に前者は人口3,883、後者は4,194。人口で言えばRognesの方がでかい。僕の勘は全然当たらないね】なんだけど、人気が無いし、街並も何かくすんだ感じで寂しかった。平日に来ればまた印象違うんだろうけど。そういう事になるから、日曜のドライブは避けた方が良いんだよね。


車とめてた道がそっちに向かうもんで、 Cucuronの方に行ってから戻って来て、 D66でLambescに行ってD7nで帰るって感じで、 Cadenet出発(1605)。
Cadenet, D45; D56, Vaugines.
Vaugines [ヴォージーヌ] はただ通り過ぎるつもりだったんだけど、村はずれに修道院っぽいちょっと魅力的な教会が見えたんで、とめて写真を撮る。 (1615)

とまったついでに村を歩く事にする。
立派な館。昔の領主の館かね。

村の入り口。どんつきは役場。

怪しげな東洋人に向かって必死で吠える犬。

ちょっとぷらぷら歩いてみたけど、なんて事無かった。まあ寒いし、日も暮れかけてるしで、元気が出なかったせいもあるんだよね。夏だったらまだまだ元気に見て回る気になっただろうけど。切り上げて車に戻る。村ん中には教会が見当たらなかったんで、さっきの村の外の教会に行ってみたら、普通にミサの時間とか書いてあったから、これが村の教会みたいだ。
1625 Vaugines発。
D56, Cucuron; D27; D182; D37; Villelaureはずれ, D973; Cadenet, D943; D543; D66d; D66; Lambesc, D7n; St-Cannat, D18; les Milles, D65.
Durance渡ってBouches-du-Rhôneに入った所でお巡りの検問に止められて、別にスピード違反とかじゃないと思うけど、色々聞かれて、ちょっとびびってブルーになる。悪い事したわけじゃないのに、もともと日暮時でブルーになってんのに、そういう事があったもんで、随分暗い気分になって、好きなD66もあんまり堪能できんかった。 Lambescに寄ったのは、ここでもN7がN7じゃなくなっとるか確かめるためだったんだけど、やっぱりD7nになってた。
1740帰宅。
100km程。

(2006/12/18/02:46:59)
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2006/12/16の記録:Ste-Victoire及び街の写真

先週のリベンジという事でまた友人に食事に呼んでもらった。
15:15発。
途中で撮った写真。




ちょっとCours Mirabeauをぶらついてから、16時頃友人宅へ。
久しぶりに美味いもん食わしてもらった。
色々しゃべって、23時半頃辞去。
24時前帰宅。

(2006/12/17/08:12:24)
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